第一話 叫び声

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第一話 叫び声

 深く深くどこまででもオチテイク。いつしかこれが、夢か現実かの区別さえつかなくなっていた。一瞬の眠りのような一生の眠りのような、時間の感覚もなくなって、ただそれでも生きていた。いや、生かされてしまった。 『カノちゃん、めっ!』 『竜姫(たつき)ちゃん危ない!』  道路に飛び出した子犬を抱き上げた瞬間にはもう、運送業者のトラックが眼前に迫っていて逃げる余裕もなく衝突した。  全身が痛み、擦り切れたようなタイヤ臭や血の匂いが漂い、あたりは騒然としていた。ああ、このまま死んでいくのかと、やけに冷静になる頭から大量に血が流れて止まる気配がなかった。 『いやあああっ!』  また叫んでいる。何度も聞き飽きるほど、耳にこびりついて離れない懐かしい声が叫んでいる。 「……う、……お嬢!」  過去の沼に沈みそうになったとき、いつもの声で現実に引き戻された。  彼は縷騎(るき)という。本名は知らないが、私が勝手につけた源氏名だ。兄のように頼りになる右腕と呼ぶに相応しい人物だと思っている。 「え」  だが、そこにいつもの飄々とした態度など影も形もなく、不安そうに揺らいでいる目とがっちり視線が合うだけで、いつも通りではない空気を察した。そのために私はそれ以上、何も言葉を発することができなかった。  ただ不安そうなだけではなく、泣きそうにも見える何とも、陰のある表情をしていたのだ。  不意に日焼けなんてしたことがないような、白いしなやかな指が伸びてきた。私は思わず警戒して身を引いたが、彼はお構い無しで目元に触れた。まるで割れ物にでも触れるかのように、その手付きはとても繊細で優しかった。 「お嬢……大丈夫ですか?」  改まって聞かれたために、また彼へと視線を向けた。百七十cmと高身長ゆえ、私の顔色を伺おうにも、今のように膝をおらなくてはならない。これではまるっきり執事のようだ。  モデル並みの立ち振舞、スーツの上からでもわかる筋肉質ながっちり体型、威圧感なある切れ長のアッシュブラウンの目、元SPで日本人とアジア系ダブル(ハーフは差別用語に当たるため、こちらを使用)らしい。 「俺は問題ない」  一瞬、何のことか分からなかったが、拭われた指を見ると濡れていた。私は自分が泣いていたことにも気づかなかったのだ。だからこそ彼に不安を抱かせてしまったのかもしれない。 「でも酷く魘されていましたよ」 「昔のことだ。竜姫を死なせたときの夢を見ただけだよ」  自分なりになんてことはないと、伝えたつもりがどういうわけか、私よりも縷騎の方が傷ついた目をした。もう済んだことだと割り切っているのは、私だけなのだと気づいたが、気づかないふりをした。  どうせ『あれは不可抗力であなたのせいではない』と、決まりきった答えが返ってくることを知っていたからだ。逆にそう言われる方が追求されているような気分になるため、絶対に言われたくない。
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