3話 写生会に行こう

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*  翌日、ホームルームを終えると、わたし達はカバンを教室に置いたままにし、スケッチブックと筆箱を手に昇降口へと足を運んだ。わたし自身、心が躍っていた。部活と言えども誰かと外で絵を描くというのは、すごく久しぶりだ。心なしに向かう足が速まっていく。こんなキモチはいつ振りだろうか。とても懐かしく思えてくる。一年前は、よく親友と絵を描きに出かけていた。それがもう昔のことのように思えてしまい、それが少し悲しくも思えてしまう。今も彼女は絵を描いているのだろうか。  昇降口が見えてくると、すでに一年生や三年生の人達がちらほら集まっているのがわかった。わたしは、少しずつ急ぐ足を緩めていった。気分が有頂天になっていることに気づかれるのが、妙に恥ずかしい。下駄箱のところで軽く息を吐き、心を落ち着かせた。わたしはよく顔に出てしまう体質なため、気をつけなければいけない。まだ胸が躍っている感じはしているが、大丈夫だろう。上履きから外履きに履き替え、外へと出た。 「こ、こんにちは」 「あっ、水森さん、こんにちは」 「みなさん、早いですね」 「かくゆう、水森さんもね。さては、ウキウキし過ぎて、急いで来たな」 「ち、違います。た、たまたまです」 「はいはい」  颯爽にバレてしまっていて、はずかしいキモチになったけれど、何げない会話に心の中が春のように暖かく感じた。他の部員達と共にクスクスと笑い合っていた。楽しい。こうして笑い合って話すのは、本当に楽しくて心地よい。転校して来たばかりは、こうして笑って話せることなんて想像も出来ていなかった。だからこそ、尊くてうれしく思えるのかもしれない。人が楽しそうに笑うのは好きだ。だけれど、傷つけるための笑みはキライだ。それは傷つけることはあっても誰も救うことなんてありえないのだから。少しずつ部員達が集まって来て、笑顔の花が増えていき、世界がどんどんと輝いていく。その光景を今すぐにでも絵に収めたい。うずうずしていると、野田先生がやって来た。みんな、話すのをやめて野田先生へ体を向けた。やっぱり野田先生が来ると、空気が違う。ほんわかした空気にピリッとした空気に変わる。教師としての貫禄だろうか。恐るべしだ。 「――えー、というわけで、近くにある草原に行くのだが、はしゃぎ過ぎだと感じたら終了とするからな」  野田先生の声かけに、わたし達は「はい」と返事をした。野田先生を先頭に草原へと足を進めた。  今から行く草原には一度楓ちゃんと一緒に行ったことがある。とても見晴らしがよくキモチがいい。近くに神社があり、そこから見る風景がとてもキレイに爽やかだ。今日はそこで絵を描こうと思う。楓ちゃん自身も、仕事に行き詰ったときは、よく散歩に出かけるそうだ。今から行く草原で、空を眺めながらアイデアを練っているとのことであった。いつも楽しそうにしている彼女でも行き詰るときがあるのだと知ることが出来た。そんなひょんなことでも知ることが出来るのはうれしい限りである。今日の風はとても心地がいい。やわらかく優しい風だ。その風が土や草の匂いを運んで来てくれる。わたしは初夏が好きだ。何かが始まりそうな予感がして、楽しいキモチになる。自然と笑みがこぼれてしまう。しばらく歩いていると、見晴らしのいい草原が見えて来た。部員達も、楽しそうな笑みを再び浮かべていた。外で絵を描くのは、やはり楽しいものだ。解放感があるからだろうか。草原に着くと、部員達は、それぞれに描く位置を決め、スケッチブックを開き描き始めていた。わたしも神社の意思石階段に腰を下ろし、スケッチブックを開いた。まるで吸い込まれてしまうのではないかと思わされるぐらいの青い空、太陽の日差しで映えるキレイな草々、真剣な表情や楽しそうな表情を浮かべる部員達、それぞれがとてもキラキラとしていて、わたしの中にある綻びが徐々に治っていくように思えた。鉛筆を取り出して、わたしは絵を描き始めた。輝いている風景と部員達をいち早く描き留めたい。爽やかな風が木の枝と二つに結んだ髪を揺らした。わたしは黙々と筆を走らせた。しばらく経ったときだった。突然、カシャッというシャッター音が聞こえて来た。顔をゆっくりと上げると、そこに駿人くんがカメラを持ってこちらを見ていた。すぐには理解が出来ず、ぼぅと彼のことを見つめていた。 「ハルちゃん、すごい集中力だね」 「しゅ、駿人くん、ど、どうしてここに?」 「僕は写真部の活動で。っても今は勝手に一人で出かけて撮っているんだけどね」 「もしかしてさっき、わたしのことを撮りました?」 「まぁね」 「け、消してください!」  わたしは顔を赤くさせながら、自分の写真を消すように訴えた。だけど駿人くんは消したくないような雰囲気があった。自分が真剣なところを撮られるなんて恥ずかしくて堪らない。駿人くんが持つカメラを取ろうとすると、するりとかわされてしまい、彼はいじわるなように笑い逃げ回った。その様子にわたし自身もムッとなり、彼のことを追いかけ回していた。楽しそうな駿人くんと怒るわたし。異様な光景に、驚く部員や笑う部員がいた。わたし自身、滅多に怒ることもないし、男子ともよくしゃべるほうでもない。だからこそ部員達にとっては意外な一面を見られてしまうことになってしまった。だけれど、わたしはそれに気づくことなく、駿人くんを追いかけていた。ある人物の雷が落ちるまでは…。 「お前ら、何ふざけている」  野田先生の大声にわたしと駿人くんはビクッと肩を震わせた。今一番怒らせてはいけない人を怒らせてしまったかもしれない。わたし達は肩を落としながら野田先生のもとへと歩いて行った。 「水森、今何をする時間だ」 「えっと…、そ、その…風景などの写生…です」 「そうだな。それなのにどうして小久保を追いかけていた」 「それは…その…えっと…」  言葉を詰まらせていると、駿人くんがわたしの肩を置き、やさしく頷いた。 「すみません野田先生、水森さんは悪くありません。勝手に彼女の写真を撮って怒らせてしまったんです」 「小久保はどうして水森の写真を撮ったんだ」 「彼女がキレイだったからです。梅や桜のように目立つわけではないですけど、そうですね道端で密かに咲いている強く儚さがあるようなキレイな花のように見えて、写真に収めなくてはいけないと思いシャッターを押しました。」  駿人くんの言葉に、体温が急激に上がっていくのがわかった。赤くなった顔を隠すようにうつむいた。花のようにキレイだと言われるだなんて予想もつかないし、言うタイミングでもない。ましてや、本人の前で言うだなんて。恥ずかしく、穴があったら入りたいキモチになる。野田先生は、大きく溜め息を吐いた。 「もういい。怒るのもバカバカしくなる。水森、描いた絵を見してみろ」 「えっ、は、はい」  わたしは階段に置いたスケッチブックに取りに行き、恐る恐る野田先生に渡した。真剣な表情でわたしの絵を観ていた。野田先生に絵を観られるときが、わたしにとって一番緊張する。おそらくだが、野田先生がわたしに真剣に向き合ってくれているからだと思う。わたしは左腕をギュウッと握り締めた。少しでも不安を取り除きたかったから。わたしは今恐いと思っている。特別絵の才能があるわけではないけれど、酷評されてしまったらと考えると、やはり不安で仕方がなくなる。怯えながら待つわたしに野田先生は軽く息を吐く。 「いい絵を描けていると思う。だけれど、まだ枠の中で収めようとし過ぎているように見える。お前が感じたもの、見えたものを自由に表現出来るようになったら、もっといい作品になるだろうな」  アドバイスをもらえているのだろうか。驚きつつ、ゆっくりと野田先生の顔を見た。怒っているわけでもなく、呆れているわけでもない。穏やかな表情を浮かべていた。うれしくなり、わたしは笑みをこぼした。野田先生から「戻っていいぞ」と言われ、わたしは再び写生へと戻って行った。今すぐにでも飛び跳ねたかったけれど、なんとか堪えた。アドバイスをもらったからと浮かれるわけにはいかない。たくさんの風景を見て、絵を描いて行く。そして自分なりの絵を見つけなければならないと思う。いつか枠を超えたれるような絵を描けるようになりたい。 「ハルちゃん、さっきはごめんね。僕のせいで、ハルちゃんまで怒られることになっちゃって」 「い、いえ、気にしないでください。わたしにも悪いところはあったんです」 「ハルちゃんはやさしいね。そういうところだと思うな。キレイだなって思うのは」 「駿人くん、またそういうことを言う」  顔を赤くしつつも、わたしは駿人くんを見た。  彼はやさしく微笑み、一枚の写真を映し出した。神社の階段に座って真剣な表情で絵を描いている少女の写真。それは紛れもなくわたしだった。絵を描いているときのわたしはこんな感じなんだと知り、どことなくはずかしいキモチになる。赤くなっていた顔もより赤くなっただろう。 「僕だけじゃないと思うよ。ハルちゃんのことを認めているのは。だってハルちゃんは一生懸命なんだからさ」 「そうなんですかね。なんだか自信ないです」 「野田先生だって、普段は辛口の評価だって評判なんだよ。それなのにさっきみたいに褒めたりはしないよ。美術部の人達だって、僕に怒っているハルちゃんを見てもイヤな顔をしなかったでしょ。ハルちゃんは、もっと自分を出してもいいんだよ」  駿人くんは暖かなまなざしでわたしを見つめた。わたしは彼の目から離せず、何も言葉を発することが出来なかった。ただただ呆然としていた。そのときだった。美術部のみんながわたしのもとへとやって来たのだ。驚きのあまりに、開いた口が塞がらない。部長にあたる先輩がわたしに向けて、にこりと笑った。 「水森さん、いつも真剣で絵を描いているところ見て来たよ。それでね、いつも楽しそうな顔をしているねって、みんなで話していたんだ」 「そう…なんですか?」 「そうだよ。水森さんのことはきちんと仲間として見てるよ。あたしだけじゃなく、美術部のみんなもそう思ってるよ」  周りを見渡すと、美術部のみんなが頷いてくれていた。  わたしが浮かないようにとみんなが気を遣って声をかけてくれていたと思っていた。でもわたしのことを仲間として見てくれていたのは、心の底からうれしい。確かに集合したときに声をかけたとき、イヤな顔をすることもなく、明るく接してくれていた。わたしはみんなのことを信じきれていなかった。ずっとわたしのことを見ていてくれていた。 「わたし、もっとみんなとお話ししてもいいんでしょうか」 「いいに決まってるじゃない。こちらもごめんなさいね。水森さんが引っ込み思案だというのは知っていたのに…。だけどね、今日、水森さんから声をかけてくれたのは、すごくうれしかったの」  部長さんはやさしく微笑んだ。  わたしは恐がり過ぎていたのかもしれない。もともと人間関係には臆病なところはあった。季節はずれの転校生ということを気にして、余計に距離を置いてしまっていたのかもしれない。だけどそれは間違っていた。もっと美術部のみんなのことを信じて、関わりを持つべきなんだ。わたしの周りにはこんなにも暖かな人達がいるのだから。駿人くんはわたしの隣に座って、笑みを浮かべた。 「みんなハルちゃんのことが大好きなんだよ。だからさ、もっと自信を持っていいからね」  彼のやさしい言葉に、わたしは頬を緩ませ「はい」と返事をした。
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