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職員室に着くと、駿人くんは「待ってようか」と言ってくれたけれど、わたしは首を横に振って「先に教室へ行ってても大丈夫ですよ」と返答し、彼には教室へ向かってもらった。一呼吸を吐いて、職員室のドアをノックし「失礼します」と中へ入って行った。わたしは二学年の先生の列へと歩いて行った。それに気がついた小柄で赤い色の丸縁眼鏡をかけた先生がこちらに歩いて来た。最近、一度会ったことがあるから覚えている。野田圭子先生だ。担当科目は美術だという。わたしは緊張のあまりにぶるぶると震えつつ、丸く猫背となっていた。そんなわたしを見兼ねたのか野田先生が、わたしの両肩に「ビシッバシッ」と擬音を言いながら叩いたのだ。より頭の中がパニックになった。何が起きたのかさっぱりわからなかった。わたしはあわあわと野田先生を見た。テンパっているわたしと裏腹に野田先生は満面の笑顔を浮かべていた。
「おはよう水森。待っていたよ」
「お、お、お、おはよ…う…ございましゅ」
緊張し過ぎてしまい、どもった挙句に噛んでしまった。はずかしくて穴があったら入りたいぐらいだ。近くにいた先生もクスクスと笑っているようであった。より体温が急激に上がり、とてつもなく暑く感じてしまう。唐辛子のように体が赤くなっていないだろう。わたしはまたクセのようにうつむいた。野田先生のフーと息を吐くのが聞こえた。呆れさせてしまっただろうか。とても申し訳ない気持ちになってしまった。野田先生はわたしの手を掴み、口を開いた。
「水森。まずは落ち着け。深呼吸をするんだ。今からこんなんじゃ一日もたないぞ」
「そ、そうですよね。すみません」
わたしは野田先生に言われたように、一回二回と吸って吐いてを繰り返した。そしたら、少しずつ視界がクリアになって来ているのがわかった。野田先生のほんわかとした笑みも見えた。わたしは「もう大丈夫です」と伝えると、「そろそろホームルームの時間になるからついて来い」と言われ。わたし達は職員室をあとにした。野田先生のクラスは二組だそうだ。明るくて面白いクラスなのだと、初めて会ったときに話してくれた。けれどやはり緊張をしているからか胸がバクバクと躍っている。今にでも心臓が破裂してしまいそうだ。わたしは深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせていた。登校中、野田先生が担任になると駿人くんに話すと同じクラスになると喜んでくれていた。知っている人がいると、少し安心する。わたしはうつむきつつ、野田先生の背中を追いかけ続けた。教室に向かう途中、他クラスの生徒が覗き込んでいるのがわかった。その度に、ビクッとしてしまう。転校生が来れば当たり前の反応だろう。わたしは人の視線が恐く必死のように息を殺していた。『お願いだからわたしのことをそんなに見ないで』と願いながら。二組の教室の前に着くと、ここで少し待っているように言われ、野田先生は先に入室していった。いよいよだと考えると、なんだか背筋が引っ張られるような感覚がした。リラックスしなくてはとわかっていて、緊張してしまう性分なのかもしれない。わたしは、なんとか呼吸を整えようと無心に深呼吸をしていた。少し落ち着いたところで野田先生の「入れ」という声かけに、わたしはゆっくりと扉を開け、静かに教壇のほうへ足を運んだ。男の子達の「女子だぞ。女子だぞ」とささめき声が聞こえて来る。その中で「あの子、ボンの彼女じゃない」とドキッとする言葉が聞こえて来た。一緒に登校していて、楽しそうに会話しているところが交際しているように見えたのかもしれない。確かに彼のやさしさに甘えてしまっていることに対して事実に変わりはないけれど。わたしがすぐ顔を赤くさせてしまうから、そのような誤解をさせてしまったのだろう。気をつけてはいるのだが、なかなか難しい。野田先生がわたしの名前を書き終えると「簡単に自己紹介をしてくれ」と指示を受け、わたしはやっとの思いで自己紹介を始めた。
「えっと、そ、その、み、水森晴香です。えっと、しゅ、趣味は絵を描くことです。よ、よろしくお願いします」
軽く頭を下げると、パチパチと拍手された。窓際のうしろの席に座るよう指示を受け、わたしは注目から逃げるようにてくてくと速足で席に向かった。わたしが席に着いてから、野田先生は今日の予定を話して、教室から出ていった。野田先生の姿が見えなくなったのを確認するとクラスメイト達が、わたしのもとに集まった。どこから来たのか。好きな芸能人は誰か。ボン(駿人くん)とはどんな関係なのか。どんな絵を描くのか。次から次へと質問が飛んで来て、わたしの頭がショート寸前だった。ただでさえわたしは人に囲まれるのがとても苦手だ。閉じ込められている感じがして、恐くて息がすごく苦しくなってしまう。あのときも一緒だ。陰口を言われたり、直接的に罵倒されているときのようだ。わたしは周りの視線にわたしはうつむいて、「えっと…、えっと…その」を繰り返していた。恐怖心に支配されているわたしに手を指し伸ばしてくれたのは、駿人くんだった。
「あのさ、いきなり囲まれて質問攻めされたらさ、普通に恐いと思うよ。水森さんだって、そういうのすごく苦手なタイプだと思うし、タイミング見て、少しずつ声かけてあげなよ。そのほうが彼女も話しやすいんじゃない」
駿人くんの言葉に、みんなからわたしに「ごめん」と謝罪をさせてしまった。別に謝罪がほしいわけではない。それなのに少し安心をしている自分がいた。今はわたしに手を指し伸ばしてくれる人がいる。わたしはうつむいたまま「こちらこそ、その…ごめんなさい…」と呟いた。誰も悪いことをしていたわけではないのに、とても空気が悪くさせてしまった。その罪悪感に襲われ、とても申し訳なく感じてしまった。顔も上げられず、声を出すことも出来なかった。ここにいるのは、大人しくて臆病な厄介者の転校生だ。そんな人間とは、関わりたいとは誰も思わないだろう。わたしはこれから、この学校でも息を潜めて過ごしていくことになるだろう。駿人くんもいつしか離れて行ってしまい、また独りぼっちになってしまうんじゃないかという恐怖心に包まれた。そんな思いに裏腹な言葉が飛んで来た。
「ねぇ、二時間目さ。移動教室だから、水森さん、一緒に行こうよ」
とても明るくはきはきしていて、澄んだ声で思わぬ誘いだった。わたしは驚いて顔を上げた。そこには、モデルさんのようにすらりとした体型で、さらさらとしているショートカットがすごく似合う女の子が立っていた。何か習っているのかと思えるほど姿勢がピンッとしていた。そんな彼女につい見入ってしまう。驚いて何も話せずにいたわたしに「イヤだったかな?」と尋ねる彼女に、急いで首を横に振った。誘ってもらえたのは素直にうれしかった。包み込んでいた恐怖心がなくなり、わたしは笑みを浮かべて「一緒に行ってくれると、助かります」と返事を返した。なんとか新しいスタートを切れただろうか。それはまだわからない。だけど今は独りぼっちではないことがわかった。それがなんだかすごくうれしく思えた。
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