慣性の法則-1

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慣性の法則-1

 一六から一七になる年。  よくあるたとえを使うなら、それはまさに人生の春である。  北の街では冬は長く、春はなかなか訪れない。新学期の桜は、八月いっぱい続く夏休みと同様に、テレビ業界の過剰演出だと、こどもの頃郁也(いくや)は思っていた。 「こどもの頃」と言ったが、一六歳の自分がいっぱしに大人であるとは、郁也には到底思えなかった。生意気盛りの春の季節に、重たい冬の空気が居座っている。  収蔵を司る冬に蓄えられた生命力が、ゆるゆると解け成長する春。それぞれの命がそれぞれのあるべき姿へと、一斉に変身してゆく緑の季節。  郁也は自分を、ひとり冬に取り残される種子のように感じていた。  他の生命たちと同じように芽吹いていいものやら悪いものやら、さんざん迷った揚句、小さな黒い種子のまま朽ちてゆく。  選択肢はあっても、択べない。自分の成長態を決められない。  春は、来ない。 「それでは、今年の仮装行列のテーマは、『白雪姫』で決定とします! 主役の『白雪姫』は、満場一致で我らが谷口郁也くーん!」 「嫌だよ! 何でボクがそんなこと」  教室の窓も壁も破れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。かき消されそうになりながらも、郁也は懸命に抵抗する。 「大体どうしていつもボクなんだ。去年、訳分かんないまま引き受けさせられたからって、今年もまたやらされるなんて、絶対嫌だ!」  机を叩いてそう主張してみるが、野郎どもの雄叫びと口笛はうおんうおんと収まる気配もない。司会の白井のメガネが光った。 「なるほど、嫌だろう。そうだろう。しかし」  白井の大袈裟な息継ぎに、教室が一瞬しんとした。 「見回してみたまえ。この中の誰が、お姫さまの扮装をして『仮装大賞』を勝ち獲れると言うのだね。君をおいて、他の誰が!」  うひょーっと誰かがおかしな声を上げ、それが端緒となって再び怒号がこだました。沸きに沸いた教室を、郁也は横目で見渡した。  確かに白井の言うとおりなのだった。郁也は唇をかんだ。 「二年一組は、各員が各員の義務を果たすことを期待しまーす。谷口君、君も例外ではありません。我々二年生が何とか賞の片隅に食い込むためには、君の力は不可欠です!」  郁也にはもう返す言葉がなかった。がっくり項垂れ、倒れ込むように席に着いた。 「はい、それでは引き続き、他の配役と担当を決めていきましょー! 姫の次は、『王子』! 誰か立候補ありませんか。え、何。推薦する? 誰? ……はい! いいですね。じゃそれで!」  郁也さえ黙ってしまえば、議事の進行を妨げるものは何もない。級長である白井の仕切りで配役・担当はさくさくと決まっていった。  憮然とした表情のまま、郁也は、 (どうして白井君って、クイズ番組の司会者みたいに喋るんだろう) と思っていた。大仰な身振りと大袈裟な抑揚。この学院で級長を務めるほどの秀才なのに、軽薄なことこの上ない話しっぷりだ。  考えているうちに、むすっとした表情が緩んでいるような気がして、郁也は机に突っ伏しそれを隠した。後ろの席から手が伸びてきた。 「谷口、そう気を落とすなよ。ひとに見られるのは、せいぜい本番の四、五時間だけなんだし。別人に作り上げられちまうんだからさ、黙ってりゃ部外者にはお前だなんて分からないって」  仮装なんだから。お遊びだよ、お遊び。声の主はそう言って郁也の肩をぽんぽんと叩いた。  お遊び。  そうだ。  お遊びだ。  昨年郁也は、エプロンドレスに大きなリボンの「アリス」で「仮装大賞」を獲った。下級生(一年生)の身でありながらの快挙であった。  伝統ある東栄学院には、年中何かしらの行事があるが、学院生にとって最も重要なのは七月の学院祭だ。メインイベントは三日目の仮装行列。全学院生がこれにかける情熱たるや並大抵のものではない。  丘の上の学院から、外へ。衣装を着けて数キロの市街を練り歩く間に、見物の市民に審査員をしてもらい、実行委員が投票用紙を集めて回る。  学院に戻ってきた後は、メインステージでのパフォーマンスを来賓と教職員が審査する。それらの点を合わせて、「大賞」「優秀賞」「特別賞」などが決定される。  教職員、例えば「世界史の鬼」島野などはとにもかくにも時代考証最優先だが、道行く市民にとっては分かりやすさ、面白さが全てである。各クラスほどほどの笑いを取って、高得点を獲りにいく。  テーマの選び方から、衣装、大道具、果ては要所要所で見せる寸劇のアピールまで、かなりの経験とセンス、それに予算が必要だった。「大賞」「優秀賞」などは当然最上級生の三年生が押さえるし、またそうでなくては上級生としての面子(メンツ)が立たない。  「大賞」などはクラス単位の団体戦である一方、仮装大会には個人賞ともいうべき「仮装大賞」が用意されている。演じたキャラクラター個人への賞だ。  仕上がりのよさが意表をつき、演じるキャラが親しみ深いものが有利である。となれば、我らが東栄学院が男子校である以上、ウケを狙って勢い各クラス「お姫さまモノ」に走ることとなる。  経験も財力も乏しい下級生は、「大賞」が無理ならせめてこちらを……と見た目の美しさを目指すのだ。  昨年、何だかよく分からないまま郁也は、明るい色のかつらにリボンを結び、ふんわりしたエプロンドレスを着せられて、ウサギやら女王、トランプの兵隊たちやらをぞろぞろ連れて市中を引き回された。  郁也の演じた「アリス」は、その可憐さから人々を熱狂させ、他校生、特に女子のデジカメ、ケータイを次々と電池切れにした。パレードの列に阻まれて身動きの取れなくなった配置薬の営業職員が、新人アイドルのゲリラライブと勘違いして警察に苦情を入れたりもしたらしい。  圧倒的な得票数で、郁也の「アリス」は「仮装大賞」に輝いた。個人賞とは言え、一年生が受賞するのは久方ぶりの快挙であった。  これを、クラスの皆が忘れる訳がない。   郁也が必死に拒めば拒むほど、クラスメイトは盛り上がり期待が膨らんでゆく。 「谷口、さっきは落ち込んでて聞いてなかったかもしれないけど」 「え……?」  休み時間に背後から自分を呼ぶ声がした。郁也が振り返ると、「王子役」を当てられた矢口だった。 「王子役を仰せつかったの、俺なんだよね。気は進まないだろうけどさ、みんなも張り切ってるし、よろしく頼むよ」  矢口はそう言ってはにかんだように笑顔を見せた。郁也があまりに嫌がるので、挨拶に来たようだ。  成績は中の上、活動的で垢抜けた連中、そんなヤツらがイベント事では中心的な役割を担う。矢口はその中のひとりだ。流動的ではあっても、クラス内ではタイプの似ている者同士がまとまりやすい。  郁也たち理系文化部のインドア志向グループは、日頃彼らと接点はない。 「『よろしく』と言われても……。ボクとしては何をどうすることも出来ないけど、まあ、クラスで決まったことだし。言われたものは着て、歩けと言われたところは歩くよ、ちゃんと。それでいいだろ?」 「ああ、充分充分。俺も楽しみだよ、『美人さん』と並んで歩けてさ」  郁也の仏頂面にめげることなく、「じゃね」と矢口は自分の席へ戻っていった。 (きっと、ああいうタイプが女のコにモテるんだろうな)  郁也は矢口の背中を眺め、彼の席の周りに集まっている連中を見た。    スポーツが得意で頭もいい。それでいて、級長や生徒会役員のような真面目でお堅い感じでもない。年相応にやんちゃな風がある。   郁也の目から見ても、カッコいいと思う。   矢口の周りから歓声が上がる。誰かの風呂敷武勇伝に茶々を入れているのだろう。突っつき合ったり罵り合ったりと楽しげだ。  郁也の視線は、ひとりに集約してしまう。スッと通った鼻筋に。耳の下の顎骨の翳に。  気づかれないうちに、郁也はそっと視線を外した。
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