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ガラーが怪我をしてから数日がたった。ガラーは口の悪さこそ元通りになったが、まだ怪我は回復しているとは言いがたい。そしてやはり想像通り、マーレの作った食事に手をつけることはなかった。
一口も食べてもらえないことは分かっていても、マーレは毎日ガラーに料理を届けた。ガラーと医者の会話が聞こえたのは、器を片付けに病院に行ったある日のことだった。
「怪我の治りをよくするためには、栄養をとりやすいように調理されたものを食べるのが一番いいんですけどね」
「だとしたら、ヒトに作らせないでもらいたいもんだな」
ガラーの言葉を受けて、僕の隣にいたマーレは明らかに表情を曇らせた。「マーレ」と声を掛けると、彼女は僕を見上げた。そして心配させまいとしたのか、無理矢理笑顔を作ってガラーの病室のドアに手をかけた。急に開いたドアに驚いたのか、それともマーレが聞いていたことに驚いたのか。ガラーと医師はこちらを見て動きを止める。誰も口を開かない中、マーレが困ったように眉尻を下げて口火を切った。
「ママに作ってもらった方がいいかもしれないね」
ガラーはマーレに言葉を返さなかった。マーレは僕を医院に置いて、器の入ったお盆を持って店に戻っていった。いや、もしかしたら僕を置いていったことにも気づいていないかもしれない。それほどにマーレは傷ついていたし、僕はマーレを傷つけたガラーに怒りを覚えていた。
「なんだよ。お前も帰れよ」
「どうして君はそんなに頑ななんだ」
僕の言葉に、ガラーはあからさまに機嫌を悪くした。その証拠に、ガラーは乱暴に被っていた毛布を跳ね上げた。
「頑なもくそもあるか。俺はあの『ヒト』をこの町の住人とは認めてねえ」
「そもそも、最初にあの子に気づいたのはお前だぞ」
「知らねえよ。拾ってきたのはお前だろ。俺は町に入れるなって言った」
僕もガラーもお互いの主義主張を一切譲らない。どうしてこんなに聞く耳をもってくれないのか。僕のそんな気持ちが伝わったのか、ガラーが憎々しそうに口を開く。
「親父もお袋も、白カビ症で死んだ。この日が届かない土地にヒトが竜人族を追い出したから、あんな病気で……。両親がどんどん弱っていく姿をずっと見てた俺の気持ちがお前に分かんのかよ」
「それは……」
「逆にお前らがなんであんなにあいつに親身になれるのかが分からねえ。今回の俺の怪我だって、ヒトが捨てたゴミが原因だろ。今までだって、アレでどれだけの竜人が犠牲になったと思ってる」
ガラーの言葉に、僕は何も言えなかった。ガラーの両親の白カビ症にしても、ガラー自身の怪我にしても、確かにヒトが原因と言えなくもない。しかしヒトが今まで竜人族にしてきた仕打ちを全てマーレに背負わせるのは、絶対に間違っている。だって、マーレもヒトの被害者だ。
「マーレだって、昔の竜人族のようにヒトから追放された側だよ。マーレは、マーレは悪くない……」
「はい、ケンカはやめな。イグニス、ガラーは怪我人だよ。ガラーもあんまり興奮すると傷に悪いよ」
僕とガラーの言い争いに割って入ったのは、僕の母だった。僕たちは2人とも全く言い足りていなかったが、母の迫力に気圧されて不完全燃焼ながら引き下がる。
「ガラーの気持ちも分かるよ。私の母も白カビ症で長いこと苦しんだから」
「だったらなんで、ヒトなんかに肩入れするんですか」
「だって、マーレは私とイグニスが育てた子だからね」
自信をもってそう言い切った母を見て、ガラーは苦々しい表情を浮かべた。やっぱり、母はすごい。僕はガラーの主張に、ちゃんと言い返すことができなかった。悔しい。僕は、マーレの親代わりなのに。涙がこぼれそうだ。母は何も言わずそんな僕の頭を抱きしめてくれた。
僕とガラーの言い争いから数日がたった。相変わらずガラーはマーレの作った食事に手をつけない。しかしマーレは毎日ガラーに食事を運び続けていた。理由を尋ねたこともあるが、マーレは決まって「だって、ママの命の恩人だもの」と笑った。
「でも、私が料理を作ってるせいで、ガラーは中々傷が治らないんじゃないかな」
「そんなことはないよ。お医者様が野菜のスープ飲ませてるって言ってたし」
「でもでも、それだけじゃ栄養が足りないよ。それに、イグニス、私のせいでガラーとケンカしたでしょ」
「……母さんか」
「言わなくても分かるよ。だって、イグニス最近ガラーの病室に入らないもん」
ぐうの音も出ない。マーレに悟られたくはなかった。無駄に心配をかけるだけだと分かっていたのに。
「僕とガラーは元々そりが合わないし、マーレが気にすることはないからな」
「うん……」
マーレが料理を持ってガラーの病室に入っても、ガラーは一度もマーレの方を見ない。そしてマーレは一口も手をつけられていない昨晩の料理を持って、店に戻るのだ。
そんなことが続いたある日、母が見たこともない草を持って店に現れた。
「いやー、ようやくこの時期になったわ。今日ガラーに持って行く料理にはこれを入れてちょうだい」
「ママ、なにそれ?」
「病気の時にはこれに限るわよ。ガラーなんてすぐ治っちゃうんだから」
「でも、ガラーは食べないかも……」
「まあ試すだけ試してみたらいいわよ。ダメでもイグニスが食べればいいんだから」
「そうそう、僕はどれだけだって食べるよ」
「……分かった」
マーレはそう言って、母が持ってきた香草を使って肉を焼いた。マーレの料理の腕は、日に日に上達していっている。見ていて気持ちがいい。ガラーもいつかマーレの努力を認めてくれればいいのに。そんなことをとりとめもなく考えた。
肉の香草焼きを持って行った晩、僕はどうしてもガラーに母とマーレの料理を食べて欲しくて深夜に医院に忍び込んだ。こっそりと窓からガラーの病室の様子を窺う。するとガラーがマーレの料理の前で何やら悩んでいる様子が見えた。何をしているのだろうか。そのまましばらく様子を見守る。
「……なんで、こんなに懐かしい匂いがするんだ。あんな、ヒトが作った物なのに」
ガラーのあんまりな言い方に僕は思わず声が出そうになったが、ドアが開く音で遮られた。
「竜人が病気の時によく食べる薬草が入っているからでしょうね。たぶん、君も幼い頃体調を崩したときに食べていたのでしょう」
「そうか、これは……母さんが作ってくれた草がゆの匂いなのか……」
そういえば、僕の母もよくこの匂いのする草がゆを病気の時には食べさせてくれていたような気がする。言ってしまえば、ふるさとの味というやつなのだろうか。ヒトであるマーレが作った食事から母の料理の匂いがしていることに困惑しているような様子のガラーに、医師は優しく話しかけた。
「私も、ヒト全てが憎くないのかと聞かれればノーと答えます。私たちは差別される側ですからね。でも、マーレはマーレ。あの子はこの町で、この町の子として立派に暮らしていますよ」
それだけ言うと、医師は病室を後にした。ガラーは窓に背を向けているため表情はうかがい知れない。しかし丸まっている背中はどこか弱々しい幼子のように見えた。もう僕の言いたいことは全部医師が言ってくれた。後はガラーがどう捉えたかだ。今日のところは僕の出る幕はない。僕も静かに医院を立ち去った。
そして次の日の朝。いつものように朝食をのせた盆を持ったマーレが医院に行くのに、僕も同行する。あれからガラーはどうしたのだろうか。そんなことを思いながら、マーレが病室のドアを開けるのを見守った。
「おはようガラー。今日もいい天気だよ」
「……おぅ」
マーレも僕も、動けなくなる。今日までいくら僕たちが挨拶をしても一度も帰ってこなかったのに。ガラーが今、挨拶をした? それから、空になった食器を見て、更なる衝撃を受けた。ガラーがマーレの作った食事を、食べた?
僕たちが呆然としたまま動かないでいると、ガラーの方が焦れたように口を開いた。
「……昨日のは、よかった」
まだ理解が追いついていないが、マーレはガラーの言いたいことを理解したのだろう。マーレは顔をほころばせた。
「今日のもきっとおいしいよ」
そう言ってマーレがお盆を差し出す。ガラーは「ん」とだけ言って、それを受け取った。一瞬だったが、マーレにつられてガラーの口角が上がったのを、僕は見逃さなかった。
こうして、少しずつではあるが、町のみんなに認められながら、竜人族の小料理屋さんは今日も店を開けるのだ。
「いらっしゃいませ! 今日も来てくれてありがとう!」
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