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マーレを拾った日
竜人族が暮らす谷底で、僕が赤ん坊をみつけたのは全くの偶然だった。あの夏の暑い日、門番仲間のガラーがあんなことを言い出さなかったら、確実に赤ん坊――マーレは死んでいた。
「なあ、今なにか声が聞こえなかったか」
「うーん……確かになにか聞こえるかも」
「イグニス、お前ちょっと見てこいよ」
「は? なんで僕が」
声が聞こえたと言い出したのはガラーだったのに、なぜか僕が様子を見に行くことになった。「やばい獣だったら、骨は拾ってやるからな」と笑うガラーに心の中で悪態をつきながら、町の外のゴミ山に向かって歩く。ちくしょう、何で僕がこんな役回りをやらなきゃいけないんだ。
谷底はほとんど日の光が届かないとはいえ、暑いものは暑い。ゴミ山は灼熱のような暑さの影響で異臭を放っていた。ゴミに足を取られながら進むと、こんなところにいるはずのない生き物が、自分の置かれている状況も分からずに元気に泣き声を上げていた。
「おいおい……嘘だろ」
思わず声が漏れてしまったのも仕方がないと思う。それほどに目の前の状況は異常だった。ヒトの赤ん坊が、ヒトの投げ捨てたゴミの山の上で、泣き叫んでいるのだ。他のゴミがクッションとなったのだろうか。赤ん坊には多少の擦り傷しかみられないように見えた。ただ、急いで助けなければこの命は失われてしまう。ヒトよりもずいぶんと頑強な僕だから本当のところは分からないけれども、そう直感した。赤ん坊をそっと抱えて、急いで町に戻る。
門のところではガラーが仕事そっちのけでソフィーを口説いていた。お前、僕に仕事を押しつけておいてそれはないんじゃないのか。文句を言おうとしたが、僕よりも早くガラーがこちらに気づいて大きな声を上げた。
「お前それ、ヒトじゃないか!」
「あら、イグニス……って、その子はヒトの子ども!?」
「ああ、この子、ゴミ山で泣いてたんだ。このままだと死んじゃうかもしれない」
「早くお医者様のところに連れて行かないと」
ソフィーと僕が町の中に入ろうとしたところで、ガラーが僕たちの前に立ち塞がった。一刻を争うといってるじゃないか。邪魔をされた僕は苛立ちを隠すことなどできなかった。
「どけよ。急いでるんだ」
「ふざけるなよイグニス。ヒトと竜人族は決して交わるべからず。掟を忘れたのか」
ガラーの言葉に、うっと押し黙ることしかできなかった。この掟は、僕たち竜人族が幼いときからずっと大人たちに言いつけられていることだからだ。だけど。
「そんなことは僕だってよーく知ってるさ。けどこのままこの小さくて、弱い命が消えていくのを黙ってみてられない」
僕の言葉と迫力に、どうやらガラーは気圧されたらしかった。ガラーがひるんだ隙に、ソフィーが僕の片手を取ってガラーの横を走り抜ける。僕は赤ん坊を落とさないように右手でしっかりと抱きかかえ、ソフィーの後ろをついて町を駆け抜けた。行き先は聞いていないが、さっき合意したとおり医者のところだろう。
医院に着くと、誰がどう伝えたのか、長老となぜか僕の母親が医院の前に立っていた。
「なるほど、まさしくヒトの子じゃな」
僕たちが抱えている赤ん坊を見て、長老は重々しく、そしてどこか困ったように口を開いた。
「長老様、このままでは赤ん坊が死んでしまいます」
「イグニス、お前は掟をなんと心得るか」
長老の言葉は厳しいものだったが、同時にどこかこちらを試しているようにも聞こえた。きっと長老も全面的にこの赤ん坊を死なせていいと思っているわけではないのだ。そう考えた僕は、僕なりにここまで赤ん坊を運んできた理由を改めて自分に問う。そして、答えを出した。
「その掟はヒトと竜人族の双方を守るためのもの。けど、ヒトを排斥するためのものじゃないと思います。遙か昔、竜人族がヒトから村を追放されたときに、ヒトと争うことを選ばなかった祖先たちもきっと許してくれると思って、この子を連れてきました」
「……なるほど、そう考えたか」
長老はうつむいているので表情がうかがえない。僕とソフィーが困惑していると、僕の母が口を開いた。
「あんたはその子の命を救ったとして、その後ちゃんとその子について責任がもてるの」
「責任」というのは自分にはまだよく分からなかったが、子どもについて責任をもつというのは親代わりになれるのか、という意味だと思う。つまり、母や父のように強くあらねばならないということだ。なにがあってもこの子を守れるか問われているということだろう。
「母さんのように、強い竜人になってみせる」
決意をこめてそう伝えると、長老は小さく笑って医院への道を空けてくれた。認められたのだと僕が理解するよりも早く、ソフィーが「ありがとうございます!」とだけ長老に叫んで、医院のドアをバーンと開けた。
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