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#60 口がもどかしいほどに
大分遠回りになっていたらしい入浴は、その順番を告げる母の呼びかけで思い出した。
タブレットにはまだ折戸君のチャンネルが残っていたし、あるものは好きに使ってくれて構わないと告げて、一旦の部屋の留守を柚弥に任せた。
戻って来たら、タブレットのライトは消えたままで、部屋にある僕の趣味・嗜好を知るものの探索に努めていたらしい。
隅のスタンドに立ててあるアコースティック・ギターを、また猫のような姿勢で眺めていた。
初めて部屋に入った時から、気になっていたらしい。「弾いていいよ、」と声を掛けたら、「弾けないんだ、観る専」と恥ずかしそうに笑って、弦を控えめに弾いて、ささやかな音を間伸びさせた。
YAMAHAのFG。僕も大して弾けない。一年の時音楽の趣味が合った軽音部の先輩から、卒業する時に貰った。
「弾くの?」「……たまに」
期待を込めた瞳を瞬かせているから、彼の前からギターを取って、ベッドに腰掛けて、好きなフォークデュオの好きな歌のサビを、つい歌いそうになるのを抑えて、一小節弾いた。
「凄い、巧い、めっちゃ格好良い!」目の前で拍手をして、とても褒めてくれるから、気恥ずかしさが相当強い。
「歌ったりするの?」「たまにはね……。色々、溜まってきたら」
何がだよ! 笑ったけどすぐ、「ねえ聴きたいな。綺麗で澄んだ声だから、絶対巧いよ!」
やっぱりそう求められたので、それは流石にまだ恥ずかしいから、彼にギターを渡して、その話題は濁らせた。
「うちにもあるよ。黒のグレッチのテネシー。中のラベルにサインが入ってるから、神棚みたいに祀ってある感じだな」
思いがけず出た具体的な事柄に、誰の、と瞠った瞳で訊いたが、柚弥は笑みを含ませて、ギターを丁寧にスタンドへと戻した。
そこから好きな音楽の話題に移った。
音楽は大分好きなようで、基本はロック。
始めは誰でもその略称を知っている、幅広い色合いの曲をこなす邦楽のバンド名が出た。ボーカルの中性的な美しさが目を惹き、彼の雰囲気にもよく合っていた。
だけど、コアでアンダーグラウンドな方面にも意外に精通しているらしく、音楽好きには一目置かれるようなバンドの存在を、行ったライブハウスの箱名と共にすらすらと繋げた。
洋楽には圧倒されるけど、歌詞がいまいち浸透して来ないので、行く予定のフェスに出るアーティストの予想セットリストはとりあえず押さえる程度。
ロック色の強い大型フェスにも、毎年行っていることが判った。キャンプも一度で懲りたけど経験済みらしい。
僕も野外系フェスで幅広くアーティストを観るのは好きなので、行ったフェス名を挙げたら結構被っていた。これまでも、つい先月近隣で開催された都市型フェスも。
「知り合う前から、俺ら一緒の場所に居たんだね!」とはしゃぐように盛り上がった。
音楽の話は長く続いて、それが尽きた後でも僕達は喋った。
喋った。とにかく喋った。
途中母がアイスを差し入れてくれたり、歯磨きをしに部屋を出たりして小休止を何度か挟みつつも、
とにかく僕達は、些細かどうかを気にすることも、前後の連関も、話題の有意義も何も考えずに、思いついたことを次から次へと、
まるで互いのこころにある自分の知らない空白部分を少しでも縫うように、相手へ自分を欠片でも分けるように、更けていく夜を、惜しむ気持ちを背に隠すように話し続けた。
音楽から互いの趣味へ。彼は思いの外読書家だった。
漫画は勿論のことアニメにも平均より深く嵌っていて、時間があったら線の細かい絵も描くらしい。スマフォでちらと見せてくれたが、物凄く上手だった。
夏休みに会ったあの日、本当に本を借りに来たついでに集中出来るからと図書室で夏休みの課題を少しやっつけて(しかも数IIだったらしい)、
日本史の資料集を机に置いて来たことに気付いて、持って帰ろうかと教室までやって来たけどやっぱりやめて、窓の外を眺めていたという。
洋書より日本文学。太宰治が好き。教科書に載っているような『メロス』や『富嶽百景』など、太宰の精神が安定していた頃の作品よりは、『グッド・バイ』より少し前、晩年辺りに書かれた短編が好きらしく、作品名を出されても識らなかった。
それでも何とかついていけた。むしろ、結構趣味も被っていた。
とにかく色々喋った。僕の転校前の学校のこと。進路。女の子の好み。
宇宙の広大さのことをふと考えると、果てが測れない得体の知れなさに凄く怖くなると、そんなことまで一致して、
そこで遂に紆余曲折を経たこちらの広大な話の、収束が見えそうだった。
「ああ、疲れた。喋ってて、口が疲れるなんて初めてだよ。
俺、説得力ないかもだけど、そんな人と話したりしないんだよ。こんなに喋ったの、初めてかも」
僕もだった。前の学校の晟とも、家を行き来して本音でよく語り合ったけど、ここまで自分を伝えたくて相手を知りたくて、喋り終わりを待つのももどかしく、身内から溢れそうな次の言葉をとどめるくらい、誰かと話したいと思ったことは、初めてだった。
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