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#6 美術室にて
『——……早く入れよ』
戸口から動かない柚弥に、椋田は苦笑するような表情を向けた。もう拒んでいる空気はない。
柄にもなく緊張している。押しかけておきながら。
それを自覚しながら柚弥はそっと美術室に足を踏み入れた。
久しぶりなのもある。会いたいけど、頻繁に会いに行きづらい関係性がある。
そういう複雑さ、目の前に立つと焦れたような緊張を感じさせるのは、柚弥にとって彼一人かも知れなかった。
「…………髪の色が変わったな」
散らばった机の上の道具を片付け、油絵の後始末をしながら、少し離れた席に座った柚弥を横目に、椋田は呟いた。
「え……」
「前見た時は、その耳の上の、綺麗なターコイズブルーだった気がする。夏の晴れた海のような……」
「ああ、うん……。最近紫入れたんだ。もう秋だし、青って、どうしても色落ちると、緑っぽくなるんだよね。元に黄色があるから。だから紫入れると、結構緑っぽくならなくて、落ちてもいい感じにグレー寄りになるというか……」
「補色の関係か」
「多分、そう」
美術の先生らしい、と柚弥は楽しげに小さく笑った。
緊張が解れてきたらしい柚弥に椋田も淡く微笑んだ。
「……ごめん。画、途中だったんでしょ。邪魔した……」
「うん、いいよ……」
「絵の具、もう拭いちゃったでしょ、もったいない……」
「いいんだ、別のところを塗ろうとしていた。むしろ切りが良かったよ」
「……これ、二学期にやるやつ? 前言ってたよね、油絵やるって」
「うん。そうだな。……橘には、始めから詳しく説明しなくても大丈夫かな」
「そうだね。昔、とっても絵の上手な素敵なおにいさんに、油絵を教えて貰ったからきっと大丈夫」
二人してささやかに笑い合った後、会話は途切れた。
こうして椋田と向かい合って話しているのは、やはり楽しかった。いつまでも話していたい気持ちにとらわれる。
だがどうしても心に淀んで沈んでいる:澱(おり)がある。ここに来た本来の目的だ。
椋田もそれを待っているように穏やかな表情をして柚弥を見守っている。それを受けて柚弥は一息吐き唇を開いた。
「あのさあ瀬生さん、」
「学校では『先生』」
「ええっ……。いいじゃん、どうせ誰もいないんだし……」
「誰が見てるとも限らない。不快に思う奴もいる。そう約束しただろ」
「……はいはい、解りました。じゃあ椋田先生、今すっごく悩んでることがあるから、聞いて下さいー、」
「うん……」
「せ……っ、……椋田先生。昨日からさあ、うちに転校生来たじゃん?」
「ああ……。N校から来た子だろ。二年の……、あ、横山先生の、橘のクラスじゃないのか」
「そう。席、俺の隣」
「へえ……」
「つうかさ、俺、夏休みに会ったんだよ。偶然ね。学校で。多分見学とかに来た時。
生徒で一番初めに会ったの、多分俺。それで俺の隣に来たの。凄くない?」
「うん。奇遇だな……」
「元々うちのクラスに来るって聞いてたし、俺の隣空いてたし、多分俺の隣に来るなって、結構わくわくしてたんだよね」
「うん……。そうだな、お前の隣、空いてたから友達を欲しがってたな……」
「まあね……。で、昨日から来たんだけど、すっごいいい子でさあ。真面目だし爽やかだし、控えめな子かなと思ったんだけど、結構物怖じしないししっかりしてそうでさ……。
感じ良いし優しいし、俺の話も全然聞いてくれそうで、あ、これは久しぶりに、良い友達が出来るかもしれないって、結構楽しみに、してたんだよねー……」
「……」
「してたんだけどさあー……」
淀みなく話していた柚弥の口調が間延びして歯切れが悪くなり、やがてその首が天井を仰いだ。
「——……嫌われちゃったみたい」
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