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スマートフォンの電波はかろうじてまだ立っているが、あまりにも弱く、ウェブサイトの閲覧などはできない。
ここから先はもうスマートフォンを使うことはないだろう。
電源を切ってバックパックの雨蓋にしまうと、ペットボトルを取り出して水を口に含んだ。
汗冷えしていたせいか、常温での水がずいぶんと温かく感じる。硬くもったりとした質感が、喉に一定時間留まってから、体内に流れていく。
体を休め、水分補給をすると、緊張感がほぐれていくのを感じた。
汗が引いたタイミングでふたたびバックパックを漁り、薄手のシェルジャケットを羽織る。
素材の擦れる音が響くが、男が覚醒することはなかった。
「派手な色だな……」
羽織ったシェルの、ビビットな赤色になかなか馴染めず、視界に入り込むたびに落ち着かなかった。
普段は白や黒、アースカラーの服ばかり着ているし、いくら山用とはいえ、自分ならまず赤は選ばない。
仕方がないのだ。これも全部、兄の使い古しのものなのだから————
文太は後頭部を壁につけてもたれかかると、ふたたび男を見た。
男は静かに、それこそまるで息をしていないかのように眠っている。
上等な身なりをしているから、そこそこ山慣れはしているのだろう。
チャコールグレーのジャケットや細身のパンツには高価なアウトドアブランドの、鳥の骨のようなロゴが入っているし、シルエットも最新のものだ。
さらにそばには靴下が丸まって転がっており、裸足だった。
ある程度日焼けをしているが、パンツの裾から覗く足首や甲は、驚くほどに白い。
年はいくつなのだろう。
身につけているものからして学生ではなさそうだが、顔立ちや姿は自分とそう変わらないように見えた。
文太は男から視線を外すと、自身の足元を見た。
つられて靴下を脱ぎたくなったのだった。
つま先の布を引っ張って裸足になると、詰まっていた足指の間が、一斉に呼吸を始めるような解放感に包まれた。
指を前後に動かし、その爽快さをしばし味わう。
——ふと強い視線を感じたのは、ひと呼吸置いたのち、脱いだ靴下を丸めている時だった。
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