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滑落したのは10、いや20メートルほどだろうか。
幸い、文太の立っていた場所はなだらかな斜面になっており、樹林が茂っていた。これが岩場だったり切れ落ちた場所だったら、命はなかっただろう。
木に激突しなかったのも、運がよかった。
打ちつけた痛みはあるものの、骨が折れている様子もない。
しかし、なだらかなようでも、見上げると斜度はそれなりにある。ためしに立ち上がってみるが、自力で這い上がることはできなさそうだった。
下手に動こうものなら、さらに滑落しかねない。
身の安全を確認し、現実を把握すると、いよいよ手足が震えてきた。
——小屋の人間には、行き先を告げずに出てきてしまった。
唯一、文太の行き先を推察できそうな梓に至っては、あいにく不在にしている。
いくら腕をのばしてスマートフォンを振ったところで、電波は入らない。
鼓膜がつんとして、一切の音が聞こえなくなり、視界は、光を一斉に受け取ったかのように白くぼやけた。
無のなかからは、絶望がひしひしと近寄ってくる。
再び寝転んで呼吸を繰り返すと、感覚は徐々に戻ってきて、あとは無情な静寂だけが、文太を取り囲んでいるのだった。
まずいことになった。
みんなに迷惑をかけてしまう。
いや、それ以前に——自分も兄の二の舞になるかもしれない。
そうしたら、みんなはどう思うだろう。
両親は、梓は—————
文太は目を閉じて、映像化されていく最悪の想定に幕を落とした。
木の葉が、からからと音を立てる。
ゆっくり目を開けると、取り囲む木立が、体を揺らしながら、文太をせせら笑っているようだった。
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