12. 夜明けの涙

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日が落ちてから、随分と時間が経った。 墨汁のような闇の絵の具は、ありとあらゆる境界、そして輪郭を曖昧にし、やがて一枚の平らな絵にしてしまった。 文太は手足を動かして末端に血を送ると、再び身を縮こませて横になった。 夏とはいえ、高所の山中は晩秋のような寒さだ。 吹き込む風は毛穴を刺すように冷たく、身につけている薄手のシェルジャケットだけでは防ぎようもなかった。 それでも、吹きさらしの稜線よりかはまだましなはずだ。 少しでもポジティブな要素を見つけていなければ、気持ちは今にも折れてしまいそうだった。 ——散歩に出かけるような感覚で出かけてしまったから、防寒具も、食料も持ってきていない。唯一、生命をつなぐものは、残りわずかになった水だけだった。 時々、気を失ってしまいそうなほどの絶望が襲うたび、かろうじて正気をもたらしてくれたのは、シェルジャケットのポケットに入っていたヘッドライトだった。 小さな、でも力強い灯りは、闇に馴染んでしまいそうな文太の視界を照らし、あたたかな安堵をもたらした。 定期的にヘッドライトを振り、声を出す。 スマートフォンの電源を入れて、電波を探す。 夜の間にできることといったら、そんなことぐらいだった。 それらを何度か繰り返し、何の手応えも感じないまま、乱高下する感情が、頭上を飛び回る。 大丈夫。まだそんなに深刻な事態じゃない。 怪我はないし、水もある。 夜を明かせば、きっと。 ——でも、本当に? 水も食料もないなかで、どれだけ耐えられるのだろう。 体はもちろん、精神的にもつのだろうか。 ライトの電池と、気力と、どちらが先に切れるかすら、もうわからない。 やはりあの時、ニッコウキスゲの群落の中に佇む梓を写真に収めておけばよかった。 彼を見ることができたら、どれだけ慰めになっただろう。 膝を抱えて、顔を突っ伏すと、涙が頬を伝った。 体はすっかり冷たくなっているのに、涙はこんなに温かいのだと、不思議な心地になる。 疲労がもったりと文太を包み込み、その倦怠感に導かれるままにまぶたを閉じた。
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