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「お前、兄貴と顔がそっくりなんだって? しかも、兄貴の服着て登ってきたんだってな」
「それは別に、深い意味はなくて——」
「お前が来てからアズがずっと変なんだよ。明らかに動揺してる。わかるよな? お前がいると、どうしたってお前に兄貴の影を重ねるんだよ」
そうだろうか。
たしかに、兄と自分を混同している時はあった。
しかし、そうではない——文太自身と紡いだ時間も少なからずある。
文太は目を閉じ、彼と交わした会話や重ねた時間を思い出そうとした。
「兄と俺は違う人間です。それは梓さんだって——わかってるはずです」
須崎は嫌悪を吐き出すような、いやにキレのいい笑いをこぼした。
「そりゃ違うよ。兄貴のほうはアズが本気で好きだった恋人。お前はただ——その弟ってだけだろ」
浅い呼吸を繰り返しながら、彼から放たれる刺々しい言葉を、ゆっくりと飲み下す。
兄と梓が恋人同士だった——その真実を突きつけられても、それほどの衝撃はなかった。
梓が自分に兄を重ねている時の言動から、なんとなくそうなのではないかと思っていたのだ。
「とにかく、あいつを助けてやりたいならさっさと山から下りろ。お前がアズにしてやれるのはそれだけだ」
須崎は言うだけ言うと、踵を返してしまった。
表情ひとつ変えなかったが、彼は彼なりに焦っているのだろう。
つまり文太を——脅威の対象として見ている。
文太も足を動かそうとするが、思うようにいかなかった。
なによりも文太を打ちのめしたのは、一方的に砲撃されたことに対する悔しさよりも、圧倒的な敗北感だった。
須崎は、梓を深く愛している。
ふたりにはふたりなりの歴史があり、紡いできたものがある。
彼から放たれた数少ない言葉で、それを嫌というほどに思い知らされたのだった。
振り返ると、須崎はもうずいぶん先を進んでいて、ここからはもう、頭しか見えなかった。
やがて、彼が完全に、稜線に飲み込まれたのを見届けると、文太は足枷を外すように大袈裟なステップを踏み、ようやく歩き出した。
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