13. 浮いたり沈んだり

5/9

557人が本棚に入れています
本棚に追加
/293ページ
「今日はごめんなさい。色々と性急でした」 テントの中に身を滑らせると、文太は頭を下げた。 「謝んないんじゃなかったの?」 「あ、じゃあやっぱり取り消します」 梓が笑うと、文太の緊張も解れた。 しかし、呼吸をするたびに、これから発する言葉に対して、また新たな緊張が渦巻く。 あぐらの隙間に両腕を突っ込み、体を揺らすと、ダウンジャケットの表地がしゃりしゃりと、忙しない音を立てた。 「さっき須崎さんから色々聞きました。梓さんがまだ、兄を探してくれてることとか……」 「俺が勝手にやってるだけだ」 梓は途端、寝返りを打って、背を向けてしまった。 テントにのびた影が揺らめく。 「梓さんと兄ちゃんって、恋人同士だったんですね」 梓が息を呑み、動揺するさまが、影のわずかなゆらめきだけで読み取れた。 身じろぎをして、ウェアの擦れ合う音がわずかに立つと、あとはしばらくの無音が、ふたりを気まずく取り囲んだ。 「別に、そんなはっきりした関係じゃなかったよ」 梓から放たれたのは、わずかそれだけだった。 しかし、これ以上絞り出す気もない。決して苦しめたいわけではなかった。 「須崎さんに言われたんです。俺が梓さんに対してできるのは、今すぐ山から下りることだって。もう梓さんの人生に関わるなっていう意味なんだろうね」 「下りんのか?」 「下りないよ」 瞬間、なぜか梓が安心したように見えたものだから、文太は単純に浮かれた。 そして、気持ちを抑えきれなくなった。 「それに俺の人生は俺のもんだし? 自分の気持ちを遠慮するつもりも、さらさらないから」 文太は梓の肩を掴んで、仰向けにした。 彼の目が不安定に揺れたが、どうしても視線を合わせたかった。 たとえ梓が望んでいなくとも、独りよがりでも、改めて伝えておきたかったのだ。
/293ページ

最初のコメントを投稿しよう!

557人が本棚に入れています
本棚に追加