15. 深淵

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✳︎ 須崎はその日、泊まっていくことになった。 一応、残してきた従業員を心配して衛星電話で小屋に連絡を取っていたが、任せてもらってかまわないとの返事をもらったようだ。 この悪天候で客足が伸びないのは、神無月小屋も同じなのだろう。 雨はより勢力を増し、屋根を叩きつけていた。 梓も岳に説き伏せられるがままに、小屋に泊まることになった。 外に出したらまたどこかに消えかねない——今の梓の不安定さを懸念してのことだろう。 文太は、予備の布団を抱えて、廊下を歩きながら悶々としていた。 従業員部屋は既に定員を超えているので、2組は食堂に敷くようにと、岳に指示されている。 やはりこの場合、ゲストである須崎と梓が隣同士で寝るのだろうか。 無力さを痛感し、脱力している今でさえ、そんなことがいちいち引っかかる自分の小ささに、嫌気が差した。 「……別に責めるつもりはないよ、俺は」 突然、開けっ放しになった食堂から須崎の声が響いてきて——くだらない雑念は吹き飛んでしまう。 文太は壁に体をつけて、すばやく身を隠した。 「でも、なんでひとりで行った? いつもみたく、ふたりで計画してたじゃん。ひと言くれれば、俺だって————」 「最初からついてきてくれなんて頼んでない」 「なんでそういうこと言うかなぁ……」 須崎のうんざりした声が、ため息とともに吐き出される。 彼の口ぶりからして、すでに何度か同じことを言われているのだろう。 「そもそも匠には関係ない。これは俺自身の問題だから」 「アズ!」 梓の口ぶりはまるで子供のようで、諭すような須崎の口調は、先ほどよりも低く、はっきりと響いた。 「なぁ、無茶して死んだらどうすんの?」 「そうしたら、それまでだよ」 「じゃあ何、俺とか岳の気持ちは——無視するんだ?」 梓が言葉に詰まり、沈黙が流れる。 やがてふたりが近づいたのが、気配だけでわかった。 そっと中を覗くと、梓を背後から抱き締めている須崎の姿があった。
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