15. 深淵

10/10
前へ
/293ページ
次へ
「ぱっと見ぽわぽわしてんのに、実はすげーぐいぐい行く奴って、ほんとたち悪い」 「須崎さんみたいに、ぱっと見も実際も、ぐいぐい行くのもどうかと思いますけど」 「んっとに、俺のこと全然わかってねーなぁ、お前は……」 須崎は憂慮を含んだため息をついた。 目のなかの悪戯な光はいつのまにか消え失せ、彼の体の重みはより一層増した。 「わかってほしいなら、教えてくださいよ」 「はぁ?」 「弱味握ろうなんて思ってないですからね。ただいつも唐突だし、つっけんどんだから……もっとちゃんと須崎さんのことも知りたいです、俺は」 驚いたのか、須崎は猫のような目を数回、瞬かせた。 「なにお前、俺に気があんの?」 「違いますよ。須崎さんは数少ない、梓さんの理解者のひとりじゃないですか。俺はそういう意味で————」 「じゃあやっぱり、体から深め合うか」 須崎は文太に耳打ちをすると、覆いかぶさってきた。 彼はもうこれ以上、文太に心の中を覗かせるつもりはないらしい。 「はい、もう終わり!」 文太は体を側臥位に向き直して彼を振り落とすと、両腕を布団から出した。 彼は床に音を立てて転がり、うつ伏せの体勢のまましばらく動かない。 しかし、よく見ると、微かに肩を震わせている。 一瞬、驚いたが、どうやら涙によるものではないらしいとわかると、文太は布団に潜り込んだ。 「お前、ほんと目障りだけど、ちょっと面白いな」 なんか笑えてきた。 須崎は床に突っ伏したまま、くすくすと声を漏らしている。 「笑えるようなこと、なにも言ってないですけど……」 しかし須崎から笑いが止むことはない。 文太は相手にするのをやめて、背を向けた。 やがて、シーツの摩擦する音が響いて、彼も床に入ったことを察知すると、小さく「おやすみなさい」とだけ挨拶をした。 それに対しての返答はもちろんない。 「早く下りてくれよ、頼むから」 その代わり、小さな彼のつぶやきが、食堂の四角に響き渡った。
/293ページ

最初のコメントを投稿しよう!

558人が本棚に入れています
本棚に追加