16. パッチワーク

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起き抜けに布団から手を出した時の空気の冷たさ。 厨房から食堂へと平たくのびる湿気。 日が沈んだ後、屋根を打つ山の風の音。 最初はホームシックの要因にしかならなかったそれらの感覚を、いつしか噛み締めるようになっていた。 ブンちゃんと無駄話しながらここに立つのも、あと少しだねー。 今朝、楠本と厨房で並んだ際、彼が発したひと言は、湿気でもったりとした室内に、さらなる重みをもたらした。 ——明後日、文太は山を下りることになっている。ここでの生活も、あと2日ばかりなのだ。 帰ったらまたすぐに学校が始まって、新しいバイトを探さなくてはならない。 久しく電源を入れていないスマートフォンには、いったい何件の通知が着ているのだろうか。 うんざりするとともに、不必要で軽薄な情報を積み重ねていくことへの意味についても考えるようになった。 山にいる間、スマートフォンは必要なかった。 わずかだけれど密度の濃い仲間がいて、小屋の外には梓がいる。 暮らしを整えるために働き、食べ、眠りにつく。 生と死が隣り合わせのなかで働くということは、文太にとって生きることとはなにか——その本質を、しっかりと刻み込んだのだった。 ——その日は朝から雨が降っていて、岳はいつもそうするように、談話室の窓から外の様子を伺っていた。 彼はすぐに文太の気配に気づいて、振り返ると目尻を下げた。 「今年は雨が多いな」 ブンの下山日は晴れるといいけど。 日時会話の中に含まれた、別れの気配。文太は胸が詰まってしまい、短い相槌しか打てなくなった。 雨はそこまで強くない。音を立てず、地面に染み込むようにしながら、ごく細い糸を天から延ばしている。
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