21. 小さな箱

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——梓は、文太が山で過ごした日々に対して、非日常という表現をした。 まるで、梓がいないのが文太の日常なのだとばかりに、あえてそういった区分けをした。 だが、日常だとか非日常だとか、そういった区分けをしているのは、どちらかというと梓のほうではないだろうか。 彼はふたつの世界をもち、そこにはそれぞれの役割や人間関係がある。それぞれ口調や態度だって変わる。 もっとも、どちらが彼にとっての非日常であるのかはわからないが—— ふたたび電柱にもたれかかりながらそんなことを考えていると、扉が開いた。 中から出てきたのは、先ほど絡んでいたTシャツその1と、梓だった。 彼らはこれから昼食を取りにいくらしい。 2人は入り口付近で足を止めて、残りのメンバーが出てくるのを待っているらしかった。 文太は電柱に身を隠すように、その場に留まった。 「佐野さん、今度山連れてってくださいよー」 Tシャツ男の声は、先ほどタバコ休憩で聞いた時よりもずっと媚びていた。 「土日は混むから行かないんだよね。志村(しむら)君、会社員だから平日休めないでしょ」 「休めますよ。月末と月初以外なら!」 「それに、低い山はまだ暑いしね……」 梓の返答が素っ気ないことに、少し安心する。 しかし、言葉選びには気をつけているのか、文太に対するような素っ気なさはなかった。 志村と呼ばれているTシャツ男は、それでもめげる様子はない。 察することに対して鈍感なのか、それともただ単に積極的なのかはわからないが、落胆は見られなかった。 「じゃあジム! さっき言ってたじゃないですか。佐野さん、西新宿のシトロン通ってんですよね。それなら仕事終わりにも行けるし。ボルダリング、やってみたいんすよねー」 「夜は混むからいかない」 「ちょー、またー! どんだけ人混み嫌いなんすかー」 志村が梓の肩に触れた。 そのまま軽く寄りかかるようにして、体を離さない。 須崎の距離の近さとはまた違う、嫌な馴れ馴れしさだった。 「じゃあいつ行ってんですか」 「水曜日の昼かな」 「そらまた、ど真ん中のど真ん中ですね」 なんだそれ。 文太が心の中で思ったことを、梓が先につぶやいた。 力なくだが、仕方なさそうに笑う姿を見て、志村もまた嬉しそうに笑う。
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