21. 小さな箱

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「じゃあただのご飯でいいから行きましょうよ」 「……今行くじゃん」 「ランチじゃなくて、夜。ふたりで」 「俺、喫煙席座らないから」 「全然平気、我慢する。もうそろそろやめようと思ってたし!」 食い気味に言われても、梓が首を縦に振ることはなかった。 そのうちに扉が開いて、残りの数人が出てくる。 それでも志村はめげずに「連絡します」と言った。 ほかの仲間と合流すると、それまでキャラメリゼのように甘く粘り気のあった彼の声はワントーン下がり、妙にさっぱりとしたものに変化した。 なに食べます?  いま2時半かー微妙ー まだランチやってる店あるかな 彼らは合流すると、昼食に関する当たり障りのないことを口にしながら、文太に背を向けて歩き出した。 振り返るかもしれないという淡い期待をもって、文太はしばらくその場に留まっていたが、無残にも萎んだ。 彼らはやがてひとつ先の信号で曲がってしまった。 その間志村は、梓の隣——それも肩のぶつかりそうな近距離を保ち続けていたのだった。 深く息を吸うが、アスファルトからのぼる空気は重たく湿っていて、喉を通らない。 それに、電柱の細い影に身を潜めてはいたが、長いこと暑さにさらされていたせいか、だいぶ体力を消耗してしまったらしい。 文太は額の汗を拭うと、目に入った自販機まで歩いていき、冷たい緑茶を買った。 自販機の底にペットボトルの叩きつけられる音が響く。 屈んだ隙によろめきそうになり、自販機に両手をついて体を支えた。 大丈夫だ。 梓は最後まで、志村に気のある素振りは見せなかった。 でも、気のある素振りってなんだろう。 梓にはいつだって前兆がない。自分に対してだって、ずっとつれなかった。 もしかしたら、志村にもすでに体を許しているのだろうか。 出会う前の彼は、誰にでも容易く体を開いていたじゃないか———— 「だめだ、クラクラしてきた」 頭を振って、片手を自販機についたまま腰を落とした。 やっとの思いでペットボトルを取るが、業者が補充したばかりらしいそれは、まだちっとも冷えてはいなかった。
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