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ヒュッテ霜月は、東アルプス北部に位置する、収容人数50人程度の小さな山小屋だ。
まず小屋の入り口には売店を兼ねた受付があり、宿泊客はここで小屋泊まりかテントサイトの利用かを選択し、前払いで料金を支払う。
靴を脱ぎ、室内に入ると、薪ストーブと数冊の本が並べられているだけの小さな談話室があり、その奥が宿泊者用の寝室になっている。
寝室はロフト付きの大広間で、夜はここに布団が並ぶ。貸切状態の日もあれば、混雑時は隙間なく敷き詰めることもあるそうだ。むろん個室はない。
そして、寝室の奥にあるのは、20人ほどが座れる食堂だ。
客入りにもよるが、大体の場合、宿泊客の朝夕の食事は、時間制で2回に分けて提供している。
また、昼間は食事処としての機能も果たしており、ラーメンやカレーなどの軽食や飲み物を提供している。
それから、濡れたレインウェアや衣類を乾かすための乾燥室、洗面スペースとトイレ。
山の上では空間も機能も、すべてが限られているから、宿泊者はそれらを譲り合って使う。
ちなみに、厨房の裏には小さな風呂があるが、これは従業員用で、宿泊客には提供していないらしい。
「あの、風呂っていつ入れるんですか?」
一応ユニットバスではあるが、やたらと狭い、昭和を切り取って貼り付けたような空の風呂釜を覗き込みながら——文太は期待を込めて口にした。
「あー、たぶん明日には入れるよ。1週間に2回ペースだからね」
「まじですか……」
「さすがに毎日は入れないよ」
登ってくる時に汗をかいたから、一刻も早く汗を流したかったが、その願いは今日も叶わないらしい。
明らかに落胆が混ざっていたのか、楠本は笑いながら「ま、山の上だから」と付け加えた。
ヒュッテ霜月は、幸い、間下に沢があるため、なんとか水を引いてこられるらしいのだが、そのほかの稜線上に位置する山小屋は、生活用水を天水——つまり、雨水のみに頼っているところが多いという。
その場合、水は大変貴重になるため、風呂など夢のまた夢らしい。
つまり、週に2回でも、入れるだけましということなのだろう。
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