22. かっこ悪い言い訳

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✳︎ 日陰を歩いているときに通り抜ける風の冷たさに、ふと秋の気配を感じた。 日差しはまだそれなりに強いが、足底を炙られるようなアスファルトの熱さに晒されることもない。 マップを見なくとも、スタジオまでの道のりはあの一回で覚えてしまった。 商店街を抜けて、ワンブロック先の住宅地に入る。 惣菜屋からのぼる、揚げ物の煙をくぐった瞬間、胃袋が刺激されたのがわかった。 もう夕方になろうとしているから、無理もない。 右足を庇うことなく速度を上げて歩いてきた文太だったが、建物の前まで来た時はさすがに躊躇い、しばらく足踏みをしてしまった。 ——梓はいるのだろうか。 ドア周辺を見回してみて初めて、インターフォンが見当たらないことに気づく。 そういえば出入りしていた宅配業者も、ドアを開けて半身を滑り込ませてから、声をかけていた。 文太は軽く咳払いをして、いつのまにか額に滲んでいた汗を甲で拭った。 それから手を振って汗を蒸発させ——悪あがきとばかりに時間を稼いだのち、ドアノブにふれた。 スタジオ内はフラッシュの眩しさもなければ、雑音もしなかった。 撮影スペースはがらりとしており、無人である。 そして——向かって右側の打ち合わせスペースに、梓は座っていた。 どこか一点を見つめながら、椅子の背もたれに深く身を預けている。 文太は一瞬、彼がひとりでいるのだと勘違いした。 だから声をかけるよりも先に、彼に歩み寄ったのだ。 そして3歩ほど進んだとき、丸テーブルの奥で黒い何かが動くのが見えた。 どうやら先客がいたらしい。 その人物はしゃがみ込み、梓の下腹部に顔を埋めている。 上下する頭の動きで、梓が何をされているのか、すぐにわかった。 対し、梓は眉ひとつ動かさなかった。 唇は結ばれたまま、吐息が漏れることもない。 まるで人形のようなその表情が崩れたのが、こちらの存在に気づいた時だった。 途端、彼の目は丸くなり、その唇が薄く開いた。 「文太……?」 梓の声に反応するように、相手も慌てて顔を上げる。 予想していた通り、その正体は志村だった。 声など出なかった。 ただ後退するのに必死で、段ボールに躓き、うっかり尻餅をついてしまう。 こちらがもたもたしている間に、梓が志村を振り解いて立ち上がった。 「文太!」 文太はドアノブにしがみつくようにして立ち上がると、慌てて外へ出た。
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