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厨房の裏口から外に出ると、首元を冷たい風が通り抜けて、思わず腕組みをした。
すでに日が昇っているとはいえ、標高2000メートルともなると気温は低く、早朝などは東京の初冬並みに冷え込む。
文太は、うっかりTシャツ一枚で出てきてしまったことを後悔した。
「次はテン場ね。こっちー、ちょっと離れてるよ」
足元にはこぶし大の岩がごろごろしており、厨房用のつっかけサンダルでは、下手をすると指を怪我しかねない。
楠本も同じものを履いているが、彼は慣れた足取りでどんどん先へ行ってしまう。
文太は歩幅を最大限に広く取り、足を置く場所を慎重に見極めながら、必死についていった。
テント場は小屋から100メートルほど下った平地に設けられていた。
おそらく人力で石を退けて整地したのだろう。最大で20ほど張れるらしいが、宿泊客のほとんどが出発した後の今は、一張も見当たらない。
「あ、言うの忘れてた。水はテント場と小屋を利用するお客さんには無料で分けてるけど、泊まりじゃない人には有料だからね」
「水って、蛇口捻ると出るやつですか?」
思わず口にした後、楠本の笑い声が重なってきて、愚かな質問をしてしまったとすぐさま後悔した。
「そうだよ。さっきも言ったけど、小屋の人が必死に引いたり、雨水貯めたりして確保した水だからね。行きずりの人にじゃぶじゃぶ分けてあげられないのよ」
楠本は踵を返し、ふたたび小屋方面へと戻っていく。
戻る時もやはり速い。決して急いでいるわけでもなく、また歩幅が大きいわけではないのに、足捌きが滑らかだ。
文太も彼につられてペースを速めると、さっそく足の小指を石にぶつけてしまった。
「梶川君って、もしかして登山とか全然しない人?」
「すみません。初歩的なこともわかってなくて」
「あ、いや別にそれは大丈夫。ただ、反応が新鮮だなって。見た目もなんか、街にいましたって感じじゃん」
彼が悪気なく口にしたであろうひと言には、わずかに文太と自分たちスタッフを区別するようなニュアンスが感じられて——なんとなく居心地のわるさを覚えるのだった。
自分だってまったくの未経験というわけではない。ただ…………
「これでも、小学生のころは夏休みとか、家族でハイキングしてたんですよ。でもそれ以来、山は……」
「あー、まぁ中学に上がると部活とか始まって忙しいもんね」
それ以上、干渉する気もないらしい。
不完全燃焼気味ではあるが、それはそれでありがたかった。
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