557人が本棚に入れています
本棚に追加
/293ページ
「お前らちょっとうるさいよ。廊下に声響いてんぞ」
すると突然、襖が開いて、岳が入ってきた。
支配人である彼は、文太たちが上がった後に小屋の点検をしているから、いつも1時間ほど遅れて従業員部屋にやってくるのだった。
「はい、琉弥と陽紀はもう少し声のボリュームを落とすこと」
穏やかな性格で、こうして注意をするときも決して声を荒げない。
そして両手には、缶ビールを抱えていた。
「ほら、差し入れ」
口に手を当てて、慌てたような顔をしていたふたりの表情が、ほろりと綻ぶ。
岳は畳に手持ちのビールをすべて置くと、その中からふた缶引き抜いて、文太に差し出してきた。
飲めということだろうか。
「あ、俺まだ……」
手持ちの、まだ半分残っているビールを振って見せると、岳は入り口のほうをそっと差した。
「違う違う。これ、アズに持っていってあげて」
「え?」
「ここに呼んだんだけど来ないからさ。頼むな」
物腰は柔らかいが、有無を言わせない感じだ。
彼から頼まれる時、たまにこうして眼鏡の奥から圧を感じることがあった。
「梓さんとこなら、俺持ってくよ?」
奈良が横から口を挟むが、岳は笑みを浮かべたまま、微動だにしない。
「俺はブンに頼んでるんだよ」
それっきり、奈良はなにも言わなかった。
長い付き合いであるはずの奈良と楠本も、岳の言葉には大人しく従う。
関係性は対等でありながらも、リスペクトはあるらしかった。
「じゃあ行ってきますね」
「よろしく。正面玄関じゃなくて、厨房の裏口から出てね」
文太はダウンジャケットのジッパーを顎下まで上げると、ビールの缶を手に取った。
常温でも充分に冷たい。ダウンジャケットの左右のポケットにひと缶ずつ収めると、部屋を出た。
最初のコメントを投稿しよう!