4. ゆれる明かり

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「いやほんとに、俺は別に全然! どちらかというと兄のほうがモテてましたから」 そこまで言うと、ようやく楠本の表情が緩んだ。 ほっとしたのも束の間、彼の目にはもう、別の好奇が浮かんでいた。 「へー、ブンちゃん、お兄さんいるんだ」 「はい、まぁ……」 正確には「いた」のだが、訂正するのも億劫で、とりあえず肯定しておいた。 「何歳差なの?」 「8歳です」 「へぇ、結構離れてんね」 楠本の詮索は、ごくごく一般的なものだったし、こういった類の質問を受けるのは慣れていた。 いつもならば、多少気まずい雰囲気になろうとも事実を話すのだが、今日はふいに梓の顔がよぎって——なぜだか躊躇われた。 「あ、まな板取ってもらっていいですか」 だからあえて自ら話題を振り、質問の隙を与えないようにした。 楠本はまだなにかを聞きたそうではあったが、フライパンをひっくり返し、まな板に大きなケーキが置かれた瞬間、感嘆のため息をもらした。 「おー、すげー」 「味はわかりませんけどね」 「いや絶対うまいやつでしょ」 楠本はケーキに顔を近づけて、生地から立つ湯気を浴び、恍惚とした表情を浮かべている。 ヒュッテ霜月には長いこと女性スタッフがいないので、手作り菓子を食べる機会がほとんどないそうだ。 とはいえ、体力を使う仕事なので、みんな糖分を欲している。 だから、賄いにおやつを出すと喜ばれるのだと、間宮が言っていた。 「今日はみんな、特に疲れてるかなって思って。こんなものしか振る舞えないですけど」 「まー、俺らというよりかは、梓さんが一番疲れてるよね。たぶん」 「そうですね……」 文太は頷き、慌ただしかった今日を振り返った。
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