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「なに笑ってんですか……」
しかし、彼の無邪気な表情は決して乾いておらず、まだ熱っぽさがあった。
その愛らしい笑顔に気を取られていると、潤んだ目と赤く濡れた唇、笑い声から漏れる息遣いに——いつのまにかさらわれそうになる。
文太はポケットからアルミの包みを出して、彼の足元に供えるように置いた。
「これ、差し入れに来たんです」
「なに?」
「簡単に、ケーキ的なものを焼いたんです。梓さん、今日の救助で疲れてるだろうから、せめて甘いものでもって……」
そこまで言うと、急に羞恥のようなものが込み上げてきて、梓が包みを開けようとしているのも待たずに腰を上げた。
何に対しての羞恥なのだろう。羞恥を覚えるべきなのは、むしろ梓のほうなのに。
勢いよく立ち上がったせいで、フライシートの天井に頭をぶつけてしまい、テントが揺れた。
「まあ、全然疲れてなさそうでしたけどね!」
言い捨てて、前室から上半身を外に出した時、名を呼ばれた。
「文太」
振り返ると、梓がテントから身を乗り出していた。
それから、アルミホイルの包みを軽く掲げる。
「ありがと」
素直に礼を言われるとは思わなかったので、どうも調子が狂ってしまい、文太は口をもごもごさせながら踵を返した。
「いーえ!」
玄関口に回り込むと一気に力が抜けて、いつのまにかぶつけたらしい右足の小指が痛んだ。
負傷した末端が、どくどくと脈打つ。
息を吸うと鼻の奥が痛み、さきほどの残像に、目まぐるしく取り巻かれた。
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