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普段の口調からはかけ離れた、彼の口からおそらく一生に3回ぐらいしか発動しないであろう、やたらと流暢かつ強引な口調で言われた。
しまいには——おそらくは無根拠であろうが——男の性を脅かすような文句までつけられたのが決定打となり、つい受けてしまったのだった。
長い夏休み前の暇な大学生の身分であったし、ちょうど日々の生活に煩わしさを感じている時でもあった。
——出発を決めてから2週間ほど猶予をもらい、日常生活の後始末やら、山支度などをした。
登山靴だけは足のサイズに合った安物をネットで購入したが、それ以外のウェアやギアは、全て兄のお下がりである。
使われなくなってから年月が経っていたので、それらはすべて劣化していたが、ひと夏ならどうにかなるだろうとたかを括っていた。
しかし、まさか初日から雨に見舞われて、出鼻を挫かれるとは————
文太は、背中から突き出たバックパックの雨蓋に寄りかかるようにして、退く気配のない、分厚い雲を見上げた。
雨粒は、舐めてかかった登山者に対する洗礼とばかりに、頬を容赦なく打った。
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