7. 追憶の旅

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✳︎ 梓が身を屈めると、前髪のギザギザとしたバランのような影が、カップの中に映り込む。 先日は半身をテントの外に投げ出したままだったが、今日はコーヒーを入れるとそのまま中に入ってきて、完全に入り口を閉めてしまった。 この前よりもずいぶんと風が強いから、単なる防寒対策だということはわかっていたが、それでも彼の影や気配が近づくと動揺してしまい、文太は不自然にあぐらを組みかえた。 「山では、こういうことはつきものなんだよ」 彼は、文太の動揺を、今朝の事故の影響によるものだと捉えたらしい。 驚くほど冷静に、しかし文太をたしなめるように言ってから、小鍋の縁に口をつけた。 「梓さんは、冷静なんですね」 「別に。山にいる以上、リスクはつきものだって覚悟してるだけ。自分にだっていつ起きるかわかんないから」 梓の言葉が、なまりのように重く、心の奥底に落とされる。 兄も、その覚悟をしていたのだろうか。 いや、きっとしていない。彼はいつだって、自分ならば必ず成功すると思っているふしがあった。 自信に満ちていて、探究心旺盛。 聡明だけど、どこか危うさも持ち合わせている——それが梶川未来という男だった。 対し、弟である文太は、どちらかというとおっとりした性分で、「遠くへ行くな」と言われれば守るし「転ぶよ」と言われれば立ち止まるような、そんな子供だった。 しかし、そんな文太も、一度だけ兄に促されるまま近所の石垣を登り、落ちて怪我をしたことがある。 すいすいと先を行く兄がかっこよくて、そんな彼に認めてもらいたくて、臆病なりにずいぶんと無理をしたのだ。 兄はその時、文太の怪我を心配するよりも先に、怖くても上へ進み続けたことを称賛してくれた。 やったな、文太———— 声をかけてもらった時、文太は認めてもらえたことに対する喜びと同時に、兄からあるものを嗅ぎ取った。 まぎれもなく、死の匂いだった。 ——思えば、危なっかしい行動を取る兄は、周りからいつも「いつか死ぬぞ」と言われてばかりいた。 もちろん、軽い冗談ではあったが、文太の耳には予言めいたもののように響いていたのだった。 石垣を登って以来、彼がまとう死の匂いが、日に日に濃くなっていくような気がしていたからだ。 言霊のように、鼓膜に響くそれらが重く膨れ上がり、弾けた時——兄は滑落した。
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