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それからしばらくの間、文太はふたりの雑談をぼんやりと拾いながら、まるで空気と同化するように座っていた。
そしてふたりの話題が、最近の客入り状況から先日の遭難事故に移った時——従業員のひとりが厨房からカレーライスを運んできた。
「こちら、どうぞ」
皿が、文太の前に置かれる。
カレー皿を置くごとりという音で、須崎が思い出したように振り返った。
「あー、今日は歩荷ありがとね。なんもないけど、お昼ぐらい食べてって」
それに対して、文太は「はい」と言うだけで精一杯だった。
事前に須崎が手配してくれたものに違いなかったし、これが彼なりのお礼だということもわかっていた。
しかし、彼の言葉には抑揚がなく、やたらと形式ばっていた。
こんな計らいよりも、心からの感謝の言葉のほうが、よっぽど空きっ腹に溜まるのに——腿の上で拳を握りしめながら、怒りが込み上げてきた。
「ちょっとアズと話あるから、従業員部屋にいる」
須崎は一言、従業員に向けて放つと、席を立った。
「カレー、部屋まで運びましょうか?」
「いらない。込み入った話だから来なくていい」
スタッフの配慮をにべもなく突っぱねると、須崎は部屋の奥へと消えてしまう。
文太は途端に心細くなり、頭をかきながら気怠げに立ち上がる梓を見た。
「文太、先に帰っててもいいよ」
文太は咄嗟に、首を左右に振った。
不安が顔に出てしまったのだろう。
梓は口角を上げると、なだめるような視線を寄越してきた。
「……じゃあ待ってろ。すぐ戻るから」
「はい」
なにか雑用でもさせられるのだろうか。
もたついた彼の足取りを見て、文太はなんとなく思うのだった。
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