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稜線の風に吹きさらされ、どろついた意味不明な感情がようやく冷え固まったころ、梓たちが戻ってきた。
もともと感情を表に出すタイプではないにせよ、梓には少しの動揺も見られない。
待たせたことを詫びた時でさえも、視線は揺らがなかった。
一方、須崎はというと、輪をかけて不機嫌だった。文太が挨拶をしても、ろくに返事さえしてもらえない。
一体、何だというのか。
しかし、こちらに向けられているのが敵意だとわかった今、先ほど食堂で渦巻いていたような不快感はもうわいてこなかった。
梓は須崎に簡単な挨拶を済ませると、先に歩き出した。
——帰り道に交わした言葉は少なかった。
今はまだ、積極的に話題を振る気にもなれない。
梓は口数が多くないので、文太が沈黙すると、途端に会話らしい会話はなくなり、無意識に歩くペースが速くなった。
速くない? 大丈夫?
彼の気遣いに対し、愛想を振りまくことすらできなかった。
歩き始めてわずか15分、最初の分岐まで来た時、ついに梓が立ち止まった。
休憩するにはまだ早いから、なにか用があるのだろう。
文太が俯いたまま隣に並ぶと、彼のつま先がこちらに向いた。
「さっきの、匠の態度が引っかかってんなら、気にすることない」
「……え?」
「あいつ、ちょっと癖あるけど、悪気はないから」
いやいやいや、悪気しか感じなかったのだが。
喉元まで出かかった言葉をどうにか飲み下し、文太は首を横に振った。
「別に、気にしてないです」
「気にしてんじゃん」
「してない!」
文太が声を張ると、梓はやや驚いたように目を見開いた。
ふと気まずくなり、つま先に視線を戻す。
先ほどから文太を沈黙させている原因は、須崎の態度によるものではなかった。むしろ————
文太が黙ったままでいると、梓は踵を返した。
彼が新たにつま先を向けた方は、帰路ではない。
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