10. 誰でもいいなら

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夕食後、いつものように梓のテントまで来ると、前室に置いてある小鍋にカトラリーを打ちつけて合図をした。 布越しにひとりぶんの影が揺らめいたのを確認してから、入り口のジッパーを下ろし、中に入る。 「こんばんは」 梓はシュラフの上に横になり、文庫本で顔の下半分を覆ったまま「ん」とだけ言った。 それから大きく伸びをして、気持ちよさそうな声を出す。 その掠れた声に、先日目撃した情事の記憶が引き摺り出されそうになって、文太は焦った。 短く息を吐きながら、高い声で喘ぐ梓の———— 「今日もなんか見つけたのか」 穏やかな彼の声に、膨らみかけた妄想はたちまち萎んだ。 「あ、これ……。テン場からちょっと南に行った、師走キレット手前の斜面に咲いてたんですけど」 スマートフォンを渡すと、彼は腕で自身の頭を支えながら、画面を眺めた。 目の動きは鈍く、瞼はぴくりとも動かない。 どうやら、珍しい花ではないらしい。 「チングルマだな」 「チングルマ?」 「うん。横にのびながら咲くやつ。群落をあちこちで見かける」 白い花びらの付け根がほんのりと黄色く染まっている、小さな花。 文太の見たものは群落というほどではなかったが、たしかにひとかたまりになって、いくつかの花を咲かせていた。 「なんでチングルマなんですかね」 「稚児車(ちごぐるま)がなまってチングルマになったらしいけど、本当かどうかは知らない」 「なまらせる必要ある? 悪意を感じるなー。なまらせた人、絶対下ネタ的なノリでしょ」 「お前、小学生みたいだな」 は、と声を出して梓が笑ったのが嬉しくて、文太もつい口角が緩んでしまった。 「まぁ、ぶっかけうどんにもいちいち反応する男ですから……」 こちらがくだらないことを言うと、今みたいに笑ってくれる。 冷たい印象を与える切れ長の目尻に皺が寄るのが、意外で可愛らしかった。
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