10. 誰でもいいなら

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「よく毎日探してくるよな。いつうろうろしてんの?」 「え、まぁ、休憩時間に……」 「ちゃんと休めよ。岳にずっとこき使われてんだから」 あれ以来、文太は花を見つけると写真に撮り、それを見せに梓のテントまで来るようになった。 しかしそれはどちらかというと、堂々とここに来るための口実であり、そのために日々、植物探しに時間を費やしているといってもよかった。 ——苦労の甲斐あって、草花の会話を通して、梓との距離が縮まったように思う。 それに、文太が毎日押しかけているせいか、梓はあれ以来、誰かと密通している様子もない。 テントに入る前は一応、合図をしているが、最近はいつもひとりだった。 しかし、一度縮めた距離は、こちらが気を抜けばすぐにまた開いてしまいそうで——ある意味、常に恐怖心が付き纏う。 文太はもう、ほかの誰かがこのテントに入る隙を与えたくはなかった。 「あ、休みっていえば……俺、明後日休みなんです。初めて、丸一日もらって」 ヒュッテ霜月の従業員は、1カ月に5日ほど休みを貰うことができる。従業員の多くない小屋だから、そのタイミングはなかなか難しいが、休暇の取り方については融通が利くほうだ。 麓に住んでいる奈良なんかは繁忙期を外した時期にまとめて休暇を取り、いったん街に下りるらしいが、楠本は小分けにして取り、周辺の山や小屋に遊びに行くという。 文太も楠本のような休暇の取り方をするつもりだった。 「梓さんと行ったこよみ池のコース、また行こうと思って。あの時はよく見なかったところにも、花が咲いてるってガイドブックに書いてあったから……」 小屋の談話室には、周辺の情報が記載されたガイドブックが並んでいる。 どの本もこのエリアの扱いはちっぽけだが、まれに花の名山として紹介されることがあるらしく、それらをスクラップしたもの、またはここらへんを庭としている登山者が記録を撮り、自費出版したものを寄贈してもらったものまであるらしい。 最近、消灯後にそれらを読み漁るのが、文太の日課となっていた。
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