1. 雨宿りの先客

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レインウェアの上下を脱ぎ、水滴を振い落としてから靴を脱いだ。 衣服の濡れた感触は、雨ではなく汗によるものだったらしい。しんなりとしたTシャツをつまんで風を送りながら、室内を見回してみる。 中は20畳ほどの大広間になっていて、奥にはトイレらしきドアもあった。 避難小屋というぐらいだから、いわゆる掘立小屋のような内観をイメージしていたが、梁や床には艶があり、清潔に保たれている。 この建物自体は国の所有物のようだが、ヒュッテ霜月が管理を任されていると聞いたから、定期的にメンテナンスされているのだろう。 どうやら、部屋の清掃は利用者が各自で行うルールのようで、所々に「ゴミは持ち帰ってください」「利用したら掃除をしてください」「スペースは譲り合い、マナーを守ってください」などという張り紙が目立った。 家具らしき家具はなにもない、がらんとした部屋からは、木の匂いが湿気でわき立つ。 歩くと、鳥の囀りのような密かな音を立てながら、床が軋んだ。 ————あれ? 部屋の柱の影に先客がいることに気づいたのは、部屋の中心まで進んだ時だった。 どうしよう、話しかけたほうがいいだろうか。 一瞬迷ったが、その必要はなさそうだった。 腕は垂れ下がっているし、黒い頭は柱にもたれかかったまま、微動だにしない。 まさか死体じゃあるまいな——文太はふと不安に駆られて正面から回り込み、その腹が上下していることを確かめた。 先客は男で、死体ではなかった。 この悪天候なのに、彼のレインウェアらしきものが見当たらない。 唯一の荷物らしい小さなアタックザックの中にも、それらしき膨らみはなかった。 さらに、足元にはビールの缶がいくつも転がっている。 この男は、一体いつからここにいて、果たしてどこから来たのだろう。 山中の避難小屋で過ごすにはあまりにも軽装だし、雨に降られてもいないようだ。 それに、こんなところで酔い潰れるだなんて、いくらなんでも緊張感がなさすぎる———— 文太は訝りながら男を見下ろしていたが、彼が目を覚ます気配のないことを確認すると、やがて正面の壁に寄りかかって座り、バックパックを下ろした。
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