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レインウェアの上下を脱ぎ、水滴を振い落としてから靴を脱いだ。
衣服の濡れた感触は、雨ではなく汗によるものだったらしい。しんなりとしたTシャツをつまんで風を送りながら、室内を見回してみる。
中は20畳ほどの大広間になっていて、奥にはトイレらしきドアもあった。
避難小屋というぐらいだから、いわゆる掘立小屋のような内観をイメージしていたが、梁や床には艶があり、清潔に保たれている。
この建物自体は国の所有物のようだが、ヒュッテ霜月が管理を任されていると聞いたから、定期的にメンテナンスされているのだろう。
どうやら、部屋の清掃は利用者が各自で行うルールのようで、所々に「ゴミは持ち帰ってください」「利用したら掃除をしてください」「スペースは譲り合い、マナーを守ってください」などという張り紙が目立った。
家具らしき家具はなにもない、がらんとした部屋からは、木の匂いが湿気でわき立つ。
歩くと、鳥の囀りのような密かな音を立てながら、床が軋んだ。
————あれ?
部屋の柱の影に先客がいることに気づいたのは、部屋の中心まで進んだ時だった。
どうしよう、話しかけたほうがいいだろうか。
一瞬迷ったが、その必要はなさそうだった。
腕は垂れ下がっているし、黒い頭は柱にもたれかかったまま、微動だにしない。
まさか死体じゃあるまいな——文太はふと不安に駆られて正面から回り込み、その腹が上下していることを確かめた。
先客は男で、死体ではなかった。
この悪天候なのに、彼のレインウェアらしきものが見当たらない。
唯一の荷物らしい小さなアタックザックの中にも、それらしき膨らみはなかった。
さらに、足元にはビールの缶がいくつも転がっている。
この男は、一体いつからここにいて、果たしてどこから来たのだろう。
山中の避難小屋で過ごすにはあまりにも軽装だし、雨に降られてもいないようだ。
それに、こんなところで酔い潰れるだなんて、いくらなんでも緊張感がなさすぎる————
文太は訝りながら男を見下ろしていたが、彼が目を覚ます気配のないことを確認すると、やがて正面の壁に寄りかかって座り、バックパックを下ろした。
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