10. 誰でもいいなら

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✳︎ 梓の後を追っているうちに、文太は厨房に置いてきたままの菓子のことを思い出した。 明日、一緒に出かけるからと、朝の空き時間に蒸しパンを焼いておいたのだ。 しかし、別に今渡す必要はない。明日はずっと一緒なのだから———— 梓のテントの前まで来ると、先ほど食堂にいた例のふたりが、テント場にいるのが目視できた。 そちらに気を取られていたら、梓が立ち止まったのに気づかず、ぶつかってしまう。 しかし、こちらが謝る前に、なぜか彼が「ごめん」と言った。 「明日の約束、ダメになった」 謝罪があった瞬間に予感はしていたが、それでも改めて言われると、ショックだった。 笑顔を繕おうとしても、口角になにかがぶら下がっているかのようだ。 それでも、なんとか明るい声で切り出した。 「あー……なんか予定入っちゃいました?」 「匠と出かけることになった。急に明日、あいつの予定が空くことになったから——」 須崎の名前が出た時、落胆が文太を釘刺しにした。 彼がこちらとの先約よりも、須崎との予定を優先させた——そうすることがさも当然というような態度に、ショックを受けたのだった。 「それって、そんなに大事な用なんですか」 食い下がられると思っていなかったのか、梓は口をつぐんだ。 彼はどうやら、文太の傷ついた表情に多少の気まずさを感じているようだった。 「山に行くだけだ」 「じゃあ俺も行きます」 なぜ引き下がれないのか、自分でもわからない。 原因が須崎にあることは明らかだが、まさか彼に対する対抗心が、自制できないほどにあるとは——文太自身も想像していなかったのだ。
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