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序・始まりの記憶 -冷酷な人-
蓮水院雨京。
――寄る辺のなかったわたしに、手を差し伸べてくれた人。
彼と初めて顔を合わせた日のことを、螢はありありと思い出すことができた。まるで、昨日あったばかりの出来事のように。
***
その日――
ほのかに薬品や石鹸の香りのする、診察室。
硝子窓から注ぐ初夏の日差しのもとで。
さらさらと机で書き物をしていた白衣の青年が、ゆっくりと顔を上げた。
「―――……」
そんなつもりは、なかった。
何の意味もなく誰かの顔をまじまじと見つめてしまうなど、ぶしつけなこと。
それなのに、螢はその面差しに見入ってしまった。
(この人は――異国の人?)
彼は、あまりにもこの国の人間とはかけ離れた容姿をしていた。
後ろでゆるく一つに編んでいるらしい長い髪は、限りなく白銀に近い金色。
髪の色ばかりではない。目鼻立ちのはっきりとした端正な顔立ちや、深雪を思わせるほどに白い肌からは、彼が異国の血を引いていることをはっきりと窺わせた。
薄氷のような淡い水色の瞳が、螢を捉えて鋭く細められる。
「お前が、加々見少佐の娘か」
話に聞いていた通りだった。
冷然とした眼差し。
凜と澄んでいるけれど、まったくと言っていいほど、温度の感じられない声。
「お前の名は?」
「…………」
「名は何というのかと訊いている」
螢が何も反応できずに立ち尽くしていると、水色の双眸ははっきりと険を帯びた。
「……だんまりか」
やがて、彼は小さくため息をつきながら立ち上がった。
螢がじりじりと後ずさりをする一方、彼は容赦なく距離を詰めてくる。
あっという間に真正面に立たれると、冷え切った視線が射抜くように螢に向けられた。
耐えきれずに俯けば、すぐに彼の手が螢の顎に添えられ、強制的に上向かされる。目をそらすことは許さない、とでも言うように。
「暗い目だな」
「…………っ」
たまらず、震える吐息が零れ出た。
氷のような水色の瞳に、恐怖に打ち震える螢の表情が映っている。
「お前のような目をした人間が、私は一番嫌いだ」
一番、嫌い。
これ以上ないほどにきっぱりと嫌悪を示されて、息が止まりそうなほどの衝撃を受ける。
……恐い。
何もかもを見透かすような彼の瞳が、どうしようもなく恐くてならなかった。
(この人は――恐い)
それが、螢が最初に思い出した、忘れがたい記憶だった。
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