1.すべてを失って

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「お前の名は?」 「…………」 「名は何というのかと訊いている」  名など、雨京はすでに知っているはずなのに。  何の意図があるのかはわからないが、彼はあえて、螢の口から聞き出そうとする。  反応できずに立ち尽くしていると、雨京の双眸(そうぼう)ははっきりと険を帯びた。  知らず、びくりと肩が震えた。  どくん、どくん、と心臓が嫌な音を立てる。  込み上げてきた畏怖に、声を失っていることを身振りで説明することすら、頭から吹き飛んでしまっていた。 「……だんまりか」  やがて、雨京は小さくため息をつきながら立ち上がった。  螢がじりじりと後ずさりをする一方、彼は容赦なく距離を詰めてくる。  あっという間に真正面に立たれると、冷え切った視線が射抜くように螢に向けられた。  耐えきれずに俯けば、すぐに彼の手が螢の顎に添えられ、強制的に上向かされる。目をそらすことは許さない、とでも言うように。 「暗い目だな」 「…………っ」  たまらず、震える吐息が零れ出た。  氷のような水色の瞳に、恐怖に打ち震える螢の表情が映っている。 「お前のような目をした人間が、私は一番嫌いだ」  一番、嫌い。  これ以上ないほどにきっぱりと嫌悪を示されて、息が止まりそうなほどの衝撃を受ける。  ……恐い。  何もかもを見透かすような雨京の瞳が、どうしようもなく恐くてならなかった。 (この人は――恐い)  永遠のように感じられた一瞬の後。  雨京は急に興味を失ったように螢に背を向けた。  一気に緊張が解け、その場にへたり込んでしまいそうになるのを必死に堪える。  そんな螢に構わず、彼は机に戻って書き物の続きを再開しながら、淡々と語った。
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