345人が本棚に入れています
本棚に追加
「お前の名は?」
「…………」
「名は何というのかと訊いている」
名など、雨京はすでに知っているはずなのに。
何の意図があるのかはわからないが、彼はあえて、螢の口から聞き出そうとする。
反応できずに立ち尽くしていると、雨京の双眸ははっきりと険を帯びた。
知らず、びくりと肩が震えた。
どくん、どくん、と心臓が嫌な音を立てる。
込み上げてきた畏怖に、声を失っていることを身振りで説明することすら、頭から吹き飛んでしまっていた。
「……だんまりか」
やがて、雨京は小さくため息をつきながら立ち上がった。
螢がじりじりと後ずさりをする一方、彼は容赦なく距離を詰めてくる。
あっという間に真正面に立たれると、冷え切った視線が射抜くように螢に向けられた。
耐えきれずに俯けば、すぐに彼の手が螢の顎に添えられ、強制的に上向かされる。目をそらすことは許さない、とでも言うように。
「暗い目だな」
「…………っ」
たまらず、震える吐息が零れ出た。
氷のような水色の瞳に、恐怖に打ち震える螢の表情が映っている。
「お前のような目をした人間が、私は一番嫌いだ」
一番、嫌い。
これ以上ないほどにきっぱりと嫌悪を示されて、息が止まりそうなほどの衝撃を受ける。
……恐い。
何もかもを見透かすような雨京の瞳が、どうしようもなく恐くてならなかった。
(この人は――恐い)
永遠のように感じられた一瞬の後。
雨京は急に興味を失ったように螢に背を向けた。
一気に緊張が解け、その場にへたり込んでしまいそうになるのを必死に堪える。
そんな螢に構わず、彼は机に戻って書き物の続きを再開しながら、淡々と語った。
最初のコメントを投稿しよう!