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――墓参りから帰った、その日の午前中。
からん、と螢の背後で音が響いた。
洗濯物を干す手を止めて、螢は後ろを振り返る。
昼間の光の差す縁側。そこに簪が落ちていた。花模様の飾り玉が愛らしい、桃色の簪だ。
無造作に投げ落とした簪を虚ろに見つめて、菊代はゆらりと立っている。
「……これは、何?」
簪は菊代の足に踏みつけられ、ぱきん、と音を立てて呆気なく壊れた。
ぱしっ、と頬を打たれる。
乾いた音が響いて、螢はその場に崩れ落ちた。
憤怒の形相をした菊代は止まらなかった。
螢の襟首をわしづかみ、金切り声を上げながら再び平手を振り上げる。
「男からもらったんだろう? 私の見ていない隙に、お前はのうのうと恋人と逢い引きしてるっていうのかい!? 葵を――あの子を殺した、罪人の分際で! 違うって言うなら、誰からもらったのか言ってみな!」
じりじりと痛む頬を押さえながら、螢は俯いた。
言い訳は、しない。
それに――そもそも、螢にはできない。
(ごめんなさい)
声にして外に発することのできない言葉を、代わりに心の中で呟いて、螢は地に額をこすりつける。
溺愛していた長女の葵に先立たれてからというもの、菊代は豹変した。
なぜ、できそこないの螢ではなく、優秀な葵が死なねばならなかったのか。
葵ではなく、螢こそが死んでいればよかったのに。
ことあるごとにそう罵り、罰だと言って、螢を学校にも行かせず家に閉じ込め、使用人のように扱った。
お前があの日、姉を死なせたのだから、と。
螢が持っていた明るい色柄の着物はすべて焼き、死を表す喪服以外の衣類をまとうことを許さなかった。
はじめのうちは父の宗介も、やりすぎだと菊代を叱ったものだった。けれど菊代は聞く耳を持たず、宗介も次第に呆れ、疲れ果てたのだろう。
長期に渡る外国への出征命令が下ると、冷え切った夫婦関係から逃れるように、宗介は家を出て行った。
……そうして何年も、螢は買い出し以外にはほとんど外出することもできずに、母と二人きりで暮らしてきた。
己の境遇をつらく苦しいものだと思う心情は、いつの頃からか、ほとんど薄れていた。
(わたしは……姉さまを死なせて、家族を壊した、罪人だから)
だから、母の仕打ちを理不尽だとは思わない。
むしろ、当然のことだ。
罪人であるわたしには、人並みの幸せを求める資格など望むべくもない。
螢は、これから一生、罪人として生きる定めを受け入れていた。
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