1.すべてを失って

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 ――墓参りから帰った、その日の午前中。  からん、と螢の背後で音が響いた。  洗濯物を干す手を止めて、螢は後ろを振り返る。  昼間の光の差す縁側。そこに(かんざし)が落ちていた。花模様の飾り玉が愛らしい、桃色の簪だ。  無造作に投げ落とした簪を虚ろに見つめて、菊代はゆらりと立っている。 「……これは、何?」  簪は菊代の足に踏みつけられ、ぱきん、と音を立てて呆気なく壊れた。  ぱしっ、と頬を打たれる。  乾いた音が響いて、螢はその場に崩れ落ちた。  憤怒の形相をした菊代は止まらなかった。  螢の襟首をわしづかみ、金切り声を上げながら再び平手を振り上げる。 「男からもらったんだろう? 私の見ていない隙に、お前はのうのうと恋人と逢い引きしてるっていうのかい!? 葵を――あの子を殺した、罪人の分際で! 違うって言うなら、誰からもらったのか言ってみな!」  じりじりと痛む頬を押さえながら、螢は俯いた。  言い訳は、しない。  それに――そもそも、螢にはできない。 (ごめんなさい)  声にして外に発することのできない言葉を、代わりに心の中で呟いて、螢は地に額をこすりつける。  溺愛していた長女の葵に先立たれてからというもの、菊代は豹変した。  なぜ、できそこないの螢ではなく、優秀な葵が死なねばならなかったのか。  葵ではなく、螢こそが死んでいればよかったのに。  ことあるごとにそう(ののし)り、罰だと言って、螢を学校にも行かせず家に閉じ込め、使用人のように扱った。  お前があの日、姉を死なせたのだから、と。  螢が持っていた明るい色柄の着物はすべて焼き、死を表す喪服以外の衣類をまとうことを許さなかった。  はじめのうちは父の宗介も、やりすぎだと菊代を叱ったものだった。けれど菊代は聞く耳を持たず、宗介も次第に呆れ、疲れ果てたのだろう。  長期に渡る外国への出征命令が下ると、冷え切った夫婦関係から逃れるように、宗介は家を出て行った。  ……そうして何年も、螢は買い出し以外にはほとんど外出することもできずに、母と二人きりで暮らしてきた。  己の境遇をつらく苦しいものだと思う心情は、いつの頃からか、ほとんど薄れていた。 (わたしは……姉さまを死なせて、家族を壊した、罪人(つみびと)だから)  だから、母の仕打ちを理不尽だとは思わない。  むしろ、当然のことだ。  罪人であるわたしには、人並みの幸せを求める資格など望むべくもない。  螢は、これから一生、罪人として生きる定めを受け入れていた。
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