1.すべてを失って

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「僕は、きみの今の境遇は、一刻も早く改善されるべきだと思っている。きみのお母さんのことを悪く言いたくはないけれど、こんな仕打ちはあんまりじゃないか。その頬の傷だって、菊代さんがやったんだろう? 本当だったらきみは、女学校にも行って、もっと明るい格好をして、楽しく過ごせているはずだったのに」  まるで自分のことのように嘆いて怒ってくれる和正に、少しだけ心が軽くなったような気がした。  彼の言いたいことは、わかる。  螢は今年、十八歳になった。  本来であれば、螢は今頃、いくぶんかは裕福な家庭に生まれた年頃の娘らしく、和正の語ったような青春時代を過ごしているはずだった。螢の生まれた加々見家は、大昔にさかのぼれば、目抜き通りに十間もの間口を広げる大店を持つ、豪商一家だったのだから。むろん、今となっては没落し切って、一切の商いから手を放して久しい。 (もし……葵姉さまが今も生きていたら、わたしは……)  罪人として母の仕打ちに耐えるのではなく、どこにでもいる普通の女学生として、日々を過ごすことができていたのだろうか。  ごく普通に声を出すことも、できていたのだろうか。  誰かに恋い焦がれ、胸をときめかせるような、そんな夢のようなできごとがあったのだろうか――  そう思いかけて、すぐにその考えを打ち消した。  想像したところで、仕方のないことだ。  和正の気持ちは、嬉しい。  けれど明るく楽しい青春時代など、姉を死なせた罪を背負った螢にとっては、思いを馳せるだけでも罪深い。  ゆるゆると首を横に振ると、螢は和正に向かって控えめに微笑んだ。  ありがとうございます、と精一杯の気持ちを込めて。 (こんなわたしに同情してくださって。それだけで……充分です) 「螢ちゃん……」  驚いたように目を見開いて、けれどすぐに、和正は苦々しげに口をつぐむ。  ――その時、だった。
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