1.すべてを失って

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 螢が気づいたのと同時に、和正もまた、はっとしてあたりを見回す。 「この匂い……、煙?」  どこかから火が出たのだろうか。  最初はわずかに感じる程度だった煙の匂いは、瞬く間に強くなっていく。  頭上を見上げれば、風に吹かれた黒煙が、青空を濁らせているほどだった。  まもなく、人々が騒ぎ立てる声が聞こえてくる。 「火事だよ! あっちの家から火が出たんだ、早く消防を呼んで!」 「どんどん燃え広がってるみたいだよ。こっちからは離れているから、燃え移ってくることはないだろうが……」  なぜだろうか。  胸がざわめいて、止まらない。  とても、とても、嫌な予感がした。  なぜなら、煙が流れてくる方角は…… 「……行こう」  和正も同じように、虫の知らせを感じ取ったのだろうか。  人の流れに逆らうように、足早に、無言で(みち)を走っていく。  進めば進むほどに煙の匂いはひどくなり、充満する黒煙で視界がきかなくなってくる。  果たして、行く手に待ち受けていたのは――  ぼとり、と手から籠が滑り落ち、中に入っていた野菜や果物が地面を転がっていく。 (な、んで……?)  今、目の前で起きている光景が、信じられない。 「螢ちゃんっ!」  その場に膝から崩れ落ちそうになった螢を、和正が後ろから支える。  だって――燃えていたのだから。  ごうごうと唸るような音を立てて、大量の黒い煙を吐き出しながら、真っ赤な炎が噴き上がる。  加々見家の屋敷が、螢の生まれ育った家が、周囲の畑野や木々をも巻き添えにしながら、恐ろしい勢いで燃えていく。  炎の中に黒い影となって見えていた屋敷の(はり)が、耳をつんざくような轟音とともに崩れていった。  ――その日。  とうに日が落ちて、あたりが夜の闇に閉ざされる頃になるまで、炎は屋敷を燃やし続けた。
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