5.祈り

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「ここですよ、先生。いやあ、驚きましたよ。最初は意味がわからずに読み流してしまっていたんですが、後からどうにも気になって調べてみたんです。そうしたら……」  興奮げに話す代書人、高島が差し出してきた冊子を受け取り、雨京は思わず首を傾げた。 「これは……」  その冊子は、加々見宗介が残していた記録だった。  日誌のようなものだったが、気まぐれにつけていたようで、日にちは飛び飛びだった。  大抵は賭けにつぎ込んだ金額だの、上官や部下に対する陰口だのといった、取るに足りない内容だ。しかも高島が指し示したのは、頁の片隅。一、二行程度のほんのわずかな記述だった上、一見しただけではよく意味の取れない単語の連続だったので、事実の発覚にこれほど時間がかかってしまったのは仕方ないことなのかもしれない。  教会に立ち寄った後。  雨京が向かったのは、代書人の事務所だった。  螢を引き取ってからというもの、宗介の残した遺産を調べている高島とは、調査の進捗確認のためにたびたび顔を合わせることがあった。  しかしこの日は、いつもとは事情が異なっていた。  至急、お知らせしたいことがある。  そう連絡を受けて事務所を訪ね、真っ先に見せられたのがこの冊子の記述だったのだ。  ――螢に。  その後に続くのは、規則性の見出せない幾つかの単語。 「結論から言うと、これらの単語は実体のない会社の名前でした。登記はあるものの、何の事業もやっていない会社――外の国の言葉だと、ダミーっていうやつですね。加々見少佐はこれらの会社に、会社の資金という形でたびたび入金を重ねていたようです。隠し財産……おそらくは、自分の身に何かあった時に、螢さんへ相続させようと考えていたものだったのでしょうね」 「それで、ここに入金されている額というのは……」 「これが計算した額です。生前に株で儲けたこともあったのか、とんでもないものですよ。加々見少佐は遊び歩いているように見えて、実はずっと、螢さんのことを気にかけていたのでしょうね」  示された額に、さしもの雨京も言葉が出なかった。  宗介が隠していた財産を相続するのは、無論、彼の血を引くただ一人の娘である螢だ。  であれば、螢はもはや、没落した商家の娘などではない。帝都で裕福な貴婦人として暮らしていけるだけの財を、彼女は持っていることになる。  ……雨京は螢を引き取った後、加々見家の親戚筋に文書を送り、挨拶に出向いていた。  親戚の誰もが、雨京に対して大仰(おおぎょう)に礼を伝えてきたものだ。口のきけない厄介者の娘ですが、どうぞよしなに。誰も彼もが、螢を引き取らずにすんでよかったと言わんばかりの口ぶりで。 (これだけの遺産があると知っていたなら……彼らは目の色を変えて螢をほしがったに違いない)  この事実が明らかになる前に螢を引き取ることができてよかったと、雨京はひそかに安堵する。  あの親戚達ならば、螢から遺産を根こそぎ奪ったあげく、用済みとなった彼女を(おとし)めることなど、当然のようにやってのけたはずだから。  高島からの話を聞き終え、雨京は事務所を出た。  ふと頭上を(あお)ぎ見れば、冬の空はすでに(かげ)りを帯び始めていた。外気は冷え込んでおり、あたりは閑散としていて人の姿はない。  事務所は狭い街路沿いにこじんまりと立つ建物だったので、車は少し離れた空き地に停めていた。その場所へ向かおうと、薄暗い街路へと足を踏み入れた――その時、 (……なんだ?)  何か、異様な気配があった。  肌がひりつくような感覚。  何かに……誰かに、尾行されている。  はっと振り向いた時には、もう遅かった。 「な――」  静まり返った街路に(とどろ)いたのは、けたたましい銃声。  銃弾に切り裂かれた髪が金糸のようになって薄闇に散り、飛び散った多量の血痕(けっこん)で足元の地面が真っ赤に染まる。 「あなた、は……」  拳銃を構えるその人物の顔を、見上げながら。  雨京はその場に膝をつき、崩れ落ちた。
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