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ぐらぐらと、目眩がする。
全身が軋むように痛かった。
少しずつ、意識が暗闇の底から浮上してくると、聞こえてきたのは車のエンジン音。
砂利道でも走っているのだろうか。時おり車は大きく揺れて、そのたびに目眩はひどくなり、気分が悪くなった。
(わたしは……)
こわごわと目を開けば、螢は車の後部座席に乗せられていたのがわかった。
運転席に座り、ハンドルを握っているのは見知らぬ男。
そして、車窓の外を流れるのも、馴染みのない雑木林で――
「ああ、よかった。気がついたんだね」
間近に聞こえた声に、螢はびくりと肩を震わせた。
それは優しい口調なのに、寒気がするほどに冷え切った声。
振り返れば、すぐ隣――声の主が、にっこりと笑って螢を見つめている。
柔和な印象を受ける顔に、身にまとった洋装。
……信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
だって、そこにいたのは――
「思ったより長く眠っていてくれて助かったよ。きみは僕の大事な大事な花嫁だからね。結婚するまで、できるだけ手荒な真似はしたくないんだ」
いつだって螢に親身になって、優しく接してくれたはずの青年――瀧村和正は、いつものように朗らかそのものの表情を浮かべて言った。
途端、気を失う直前の記憶が一気に思い出されてくる。
螢を路地裏におびき出し、気絶させて拐かしたのは……
(どうして……和正さんが?)
込み上げてきた恐怖に、心臓が嫌というほど高鳴っている。
なぜ、こんなことをするのか。
螢をどこへ連れていこうとしているのか。
それに、なぜ、彼は螢を花嫁だと言ったのか――?
尋ねたいことは山ほどあった。
けれど筆記具を持たない今、螢は彼に問うどころか、自分の意思を伝えることすらできない。
「きっときみは今、どうしてこんなひどいことをするの、って知りたいんだろうね。いつも僕はきみに優しかったのに……って」
螢の思考を読んでいるかのように、和正が言う。
彼はじりじりと螢に近づいてきた。
(……恐い)
和正が何を考えているのか、わからなかった。
螢の喉に和正の指先が触れた途端、ひやりと冷たい温度にぞっと怖気が立つ。
不気味に唇を笑み曲げて、彼は嗤った。
「ほんと馬鹿だよねえ。僕がお前みたいな、辛気くさくてろくに話もできないような欠陥品を本気で相手にするとでも思ったの? ――遺産だよ。たぶんお前は知らなかったんだろうけど、お前の父親はものすごい額の遺産を残したんだ。お前は実は、とんでもない金持ちの娘だったんだよ」
(遺産……!?)
耳を疑った。
そんな話は、聞いたことがない。
……けれど。
(なら、和正さんの目的は……)
和正が優しかったのは、螢に好感を持っていたからでも、案じていたからでもない。
はじめから、彼は――
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