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「邪魔なお前の母親も消してやったし、あとはうまいことお前をたぶらかして結婚するつもりだったんだ。そうすれば、お前の遺産は僕に転がり込んでくる。……なのにまさか、あの先生に横からかっ攫われるとは思いもしなかったよ。何のつもりなんだろうね、あの先生は。おかげで僕の計画は全部台無しだ」
動悸が止まらない。息が、苦しい。
(この人は――いったい何を言っているの?)
母親を、消した。
それならばあの火事も、和正が仕組んだものだったというのか。
――今日は水曜日じゃない? ここに来れば螢ちゃんに会えると思って。
思えば彼は、螢が家にいない日を知っていた。
その日と時間帯を狙って、彼は誰かと共謀して加々見家に火をつけ、螢以外に遺産を相続する権利を持つ菊代を殺した……。
(……ひどい)
ふつふつと湧き上がったのは怒りだった。
その感情が螢の顔に表れてしまっていたのか、和正は歪んだ笑みを深める。
「何怒ってるのかな? 僕としてはむしろ、感謝してもらいたいくらいなんだけどね。僕はお前を散々虐げてないがしろにしてきた母親を、わざわざ消し炭にしてやったんだから」
にやりと嗤って、和正は螢の肩を掴んだ。
彼の顔が近づいてくる。
螢の背後にあるのは車の後部扉だ。限界まで和正から距離を取ろうとして後ずさり、扉の取っ手が背骨に食い込んで痛いくらいだった。
もう、螢に逃げ場はない。
(嫌……。放して、放して……!)
のしかかってくる和正の身体を押しのけようとしても無駄だった。彼は軍人だ。螢が力でかなうはずもない。
何一つ抵抗できないまま、ついに彼の吐息が首筋にかかった。
「安心しなよ。僕はお前を悪いようにはしないよ。だってお前――ずっと死にたかったんだろ?」
胸の奥底を、ざらりとした手で撫ぜられたような心地がした。
「お前は誰からも必要とされていない。まわりに迷惑をかけることしかできない役立たず。……最初から生まれてこなければよかった、みじめで哀れな存在」
それは、螢が今まで何度も、自分で自分にかけ続けてきた呪いの言葉。
心臓に直接、鋭い刃を突きつけられたかのようだった。
ひゅっと掠れて乾いた吐息が、喉の奥で鳴る。
「でもさ、最後の最後に、お前は僕の役に立つんだ。よかったじゃないか。馬鹿で愚かなお前にも、生まれてきた意味があったってことだよ」
車内が激しく上下に揺れた。
雑木林を透かして差し込む血紅色の夕陽が、痛いくらいに目にしみる。
がたがたと歯の根が合わず、目尻に涙をためる螢をなだめすかすように、和正の指先が頬をなぞってきた。
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