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……一瞬が永劫にも感じられる沈黙の後、だった。
諒がその場にがくりと膝をつく。
拳銃を取り落とし、彼は激しく嗚咽しながら叫んだ。
「すみません……すみません……! 俺は、俺は……先生に、なんてことを……!」
瀧村少尉です、と、喉の奥から絞り出すように、諒は言った。
雨京は耳を疑った。
「瀧村少尉……だと?」
「少尉の狙いは、加々見少佐が螢さんに残した遺産です。あの人は、戦地で少佐の補佐をしていたから……きっとどこかで、遺産のことを知ったんです。螢さんをさらって、無理やり結婚して、遺産を奪おうと……だから、邪魔になる先生を殺せと……」
「……そうか」
うなずき、もう一度息をついた。
血に濡れていない方の手を諒の肩に置き、彼の瞳をまっすぐに見つめて言った。
「すまなかった」
「え……?」
信じられないものを見るような目で、諒は雨京を見上げる。
「私が対処しなければならなかった問題に、無関係のあなたや家族を巻き込んだ。謝罪ですむ話ではないだろうが……」
「何を……、何を言ってるんですか先生……!? 俺は、先生を殺そうとしたんですよ!? 二度も先生に助けられたのに、俺は、俺は……!」
「あなたもまた、大切な者を……家族を守るために、行動したまで。だから私は、あなたを責めはしない」
「…………っ」
諒が言葉を詰まらせる。
雨京は語調を強めて言った。少しでも、信じてもらえるように。
「瀧村少尉は、私が捕らえる。あなたの家族は必ず救い出してみせる。――だから、教えてほしい。螢を連れ、瀧村少尉がどこへ向かったのかを」
「先、生……」
わっと大声で泣きながら、諒はその場に額ずいた。
やがて発砲音を聞きつけたか、それまで人気のなかった街路には大勢の人々が詰めかけてきた。中には紺色の制服を着込んだ警官の姿まである。
衣服に鮮血を滲ませる雨京の姿を目にして、人々が騒ぎ始めた。
「怪我人だ! 怪我人がいるぞ、誰か医者を――」
「……医者は、要らない」
地面に転がっていた鞄を拾い上げながら制すると、警官が近づいてきて言った。
「はあ!? あんた、撃たれたんだろ!? その大怪我で何を言って――」
「時間が惜しい。私は先に向かうが、あなた方警察にも助力を願いたい。――それから、彼を罪に問うことがないよう、取り計らってほしい」
諒に一瞥をくれ、警官に経緯を簡潔に説明した後、雨京はようやく車にたどり着いた。
一瞬にして車内は血の匂いに満たされる。
衣を濡らす赤い染みは、先ほどよりも大きく目立つようになっていた。手早く傷口に布を巻いて応急処置をすませ、車のハンドルを握る。
(……螢)
西へと傾き始める日差しが、両眼を灼いた。
(必ず助ける。だから……それまでどうか、耐えてくれ)
そう、強く願いながら。
赤く染まり始めた空の下、雨京は帝都の外へと車を走らせた。
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