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西から強烈に差し込む夕陽に、雑木林はどこもかしこも炎に焼かれているかのように見えた。
火の、海。
まるで、加々見家の屋敷が燃えた、あの日のように。
(痛い。……苦、しい)
肩で激しく呼吸を繰り返しながら、螢は木の根や岩が張り出した地面の上を逃げ惑っていた。
全身が痛くてたまらなかった。口と鼻には鉄錆にも似た血の味と臭気が満ち満ちている。おそらく、車から飛び降りて全身を打ちつけた時に、口の中も切ったのだろう。
けれど、立ち止まるわけにはいかないのだ。
どれほど痛くとも、苦しくとも、足を緩めるわけには――
「―――あ……っ!」
急ぐあまりに、地面の上をのたうつように張っていた木の根に気づかず、顔面から地面に突っ込むように転んでしまう。
(早く……っ、早く……!)
必死に立ち上がろうとするも、背後から伸びてきた手によって、すぐに地に組み伏せられてしまう。
「くそっ……、ふざけるなよ。ごみ屑のくせに、手間をかけさせやがって……!」
「やめてっ……! 放して!」
「いい加減黙れよお前。ごちゃごちゃうるさいんだよ!」
ぎりぎりと骨が軋むほどに強く、後頭部を地面に押さえつけられる。どれほどもがこうと、和正の腕はびくともしなかった。
苛立ちを隠すこともなく、彼はぞんざいな口調で言う。
「ああうるさい。ずっと喋らないままでよかったのに、何でいきなり喋れるようになるかなぁお前は。そもそもお前に声なんかいらないんだ。だってそうだろ。誰がわざわざ、お前の言葉なんか聞きたがるんだよ!? お前は黙って僕に従っていれば――」
「……っ、……ま……せん……」
激痛に耐えながら、声を絞り出す。
「あなたの、言うことは……、絶対に、聞きません……! わたしはっ……、先生のところへ、帰ります!」
「な……! このっ……!」
拳が風を切るような音が聞こえた。
おそらく、和正は螢を気絶させる気だ。
これ以上、螢が反抗しないように。
(嫌だ……!)
絶対に意識を手放すものかと、折れそうなほどに強く歯を食いしばって、せめてもの抵抗を試みる――
「――螢!」
声が聞こえたのは、その時だった。
それは、螢が今、誰の声よりも一番、聞きたいと思っていた人の――
頭上で和正が舌打ちをする音が聞こえ、ようやく拘束がなくなる。
声の聞こえた方へと顔を向けた途端、雷にでも打たれたような衝撃が螢を襲った。
和正も気づいたのだろう。
はっ、と愉快そうに鼻で笑って、彼は言い放つ。
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