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終・未来へ -婚礼の日-
どこからか名を呼ぶ声が聞こえた気がして、螢は目を開けた。
(ここ、は……)
囲炉裏のある畳敷きの部屋。
ささやかな庭が見渡せる、日当たりのいい縁側。
……加々見家の屋敷だった。
今はもう、焼けて跡形もなく喪われたはずの風景の中に、螢は座り込んでいたのだった。
「螢」
また、優しい声が螢を呼ぶ。
声の聞こえた方を振り返って……その途端、目の縁がじわりと熱を持って潤むのを感じた。
「姉……さま?」
螢と目が合った瞬間、葵は嬉しそうに目を細めた。
螢の記憶にあるのと同じ、明るく眩しい笑顔で――
「姉さま、姉さま……っ、姉さま……!」
「どうしたのよ、螢。そんなに泣いたりして……」
幼子の頃に返ったみたいに、無我夢中で葵に抱きつきながら、螢は泣いた。
「ごめんなさい」
「……螢?」
「ごめんなさい。姉さまに、ひどいことを言って、傷つけて、本当にごめんなさい……!」
ずっと、ずっと、謝りたかった。
本当は、姉に死んでほしいだなんて、思うわけがなかったのに。
「姉さまが、ずっと、羨ましかったの」
「…………」
「姉さまのようになりたかった。姉さまのように愛されたかった。わたしも、姉さまみたいに明るくて、賢くて、母さまからも、父さまからも……みんなから、好かれるような子になりたかったの」
そっと、背を撫でられた。
顔を上げれば、葵は慈しむような微笑みを浮かべて、螢を見つめていた。
「馬鹿ね。死ねばいいのに、なんて、あんたが本気で思ってるわけがないことくらい、最初からわかってたわ。……ごめんね、螢。あたしのせいで、あんたにずっと、つらい思いをさせてきちゃったのね」
螢はぶんぶんと首を横に振った。
だって、葵のせいであるはずがない。
ただ、螢が勝手に嫉妬して、一人で苦しんでいただけなのだから。
「螢。……いい子ね」
そう言って、葵は螢の頭を何度も優しく撫でてくれる。
「螢はあたしみたいになんて、なることないのよ。螢はちょっぴり引っ込み思案だけど、誰より優しくて、温かくて、誰かと一緒になって喜んだり、悲しんだりできる。それは明るく話せることよりも、みんなより勉強や運動ができることよりも、もっとずっと、比べようがないくらいに大切なことなの。だから、そのままでいいのよ。あんたに救われる人は、今までだって、これからだって、たくさんいるんだから」
「……姉さま」
「元気でね、螢。――大好きよ」
「姉さまっ……!」
次第に葵の姿が透き通って、薄れていく。
うたかたの夢幻のように、懐かしい加々見家の風景が光の中に消え入っていく。
「わたしも……っ」
嗚咽を堪えながら、螢は声を張り上げる。
どうか、この思いが届きますように。
そう、祈りを込めて。
「わたしも、大好き。姉さまのこと、ずっと、ずっと……!」
葵は、微笑んでいた。
(さようなら。ありがとう……姉さま)
大好きな姉と再会させてくれた、懐かしくも美しい束の間の夢は、ゆっくりと遠ざかっていき――
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