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「――……」
瞬きをした途端、ほろりと涙の雫が落ちていった。
(夢……?)
そうだ、と思い出した。
今日のために、昨夜は雨京と遅くまで診療所に残り、仕事をしていたのだ。
だから、早めに支度を終えた後、つい机に突っ伏して眠ってしまっていた。
……まどろみの中で見ていたのは、ただ、螢がずっと抱き続けてきた願いが、夢となって形作られたものにすぎないのかもしれない。普通ならばそう考えただろう。
――けれど、今日、これから行こうとしていた場所のことを思えば。
(姉さまは……わたしに、会いに来てくれたの……?)
扉を叩く音が聞こえてきたのは、その時だった。
急いで涙を拭いて、立ち上がる。
「どうぞ」
返事をすれば、姿を見せたのは雨京だった。
「支度はすんだか」
「はい」
「ならば、行くか」
言葉少なにそれだけ確認し、雨京は部屋を出て行く。
螢もまた、後に続いた。
庭で摘んだ、梅の花と紫羅欄花。
――墓前に供えるための花を、胸に抱えて。
「先生」
早朝の帝都。
向かう先は、加々見家の墓地――
車を運転する雨京に、螢は声をかけた。
「今日は本当に、ありがとうございます。先生はまだ退院したばかりなのに、送って頂いてしまって。……あの」
「問題ない。何度も言っているが、すでに傷は塞がっている。要らない心配はするな」
「…………」
先回りして言葉を返されてしまえば、螢はもう黙り込むしかない。
――本当に、身体は大丈夫なのか。無理はしていないのか。
次に螢が続けようとした言葉は、完全に雨京に読まれてしまっていた。
それもそのはず。雨京が退院し、診療所での仕事を再開したこの数日、螢は同じことを何度も彼に尋ねてしまっていたのだから。
……だってどうしても、心配が尽きない。
(先生は、いつも、誰かを助けるためなら限界まで力を尽くしてしまう人だから)
今まで雨京の助手として働いてきた日々の中でも、それは常々感じてきたことだった。
けれど、雨京が全治一か月以上に及ぶ銃創を負う元凶となったあの事件は、そんな彼の在りようを、よりくっきりと浮き彫りにしたように思う。
……雨京と和正が対峙したあの日、あの後。
和正は警官達によって捕らえられ、罪に問われることになった。
加々見家の火災の一件も再捜査されることになり、和正の目論見は白日のもとに晒された。
脅されて雨京を撃ったという阿曇諒の家族は助け出され、和正の共謀者は次々と捕らえられた。
今度こそ、螢や雨京を狙う者の存在はなくなったのだという。
無論、和正は免職処分となり、拘置所へと送還されることになった。今後、刑罰が決定されることになるというが、放火して財を奪ったばかりか、人を殺しているのだ。一生の間、牢につながれるような、重い刑罰に処されるのは疑いようのないことだった。
そして、雨京は――
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