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(04)内裏へ
「ついてこずとも良かったのですが」
それから三位中将は帰ったかと思うと、主上のもとへ参る夜、下弦の月の西へ沈む頃に、再び安倍晴明宅を訪ねた。
牛車に引かせた車の中で、晴明と対峙した三位中将は言った。
「荒事になったら俺の出番であろう? お主は一向に役に立たぬからな。人に対しては」
「荒事になど」
なりようがないと返しても良かったが、晴明はそれをごまかした。その晴明の弄んでいる指先に、あの白拍子の持ってきた黒く染まった人形がある。それが晴明の指先を汚しているのを見て、三位中将は少し面食らった様子だった。
「まだ墨が乾いておらぬのか?」
「ええ。まだ。まだです」
「墨が乾くのはいつだ?」
「人死にが出たら乾きます」
「なんだと。荒事ではないか」
晴明の隣りに座った三位中将が身を乗り出すのを見て、扇で顔をおおった晴明は彼から目を逸らした。
「荒事など、滅相もありません。主上の前ではその短気を出さないでください。あの方は繊細なのですから」
誰かと違って、とは、さすがの晴明も腹の中で呟くにとどめただけだった。
牛車を降り、清涼殿へ徒歩で向かうと、衛士のぼんやりとした声が聞こえてきた。
「三位中将どのと、陰陽師の安倍晴明どのだ」
「あの方たちは出世をしても、本当に仲がいいなあ。羨ましい」
「見ろ、噂されているぞ」
三位中将が耳打ちすると、晴明はため息をついた。
「我らのことはあけぼのの夢と思うことでしょう」
「お主、何か術を使っているのか」
「陰陽師の仕事の範疇ですよ」
「なるほど。俺にもその範疇の術をかけているのか?」
「どうでしょうか」
三位中将が訝ったが、晴明ら二人が通ったあとを、次第に濃い霧が出て包み隠していっただけであった。
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