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(05)主上
事前に人払いをしてあるらしく、香木の炊きしめられた香りが、まもなく身体にまとわり付いてきた。
「主上、安倍晴明をお連れしました」
三位中将が平伏すると、その隣りで晴明もまた頭を下げた。
「お久しゅうございます」
御帳台で横になっている主上に晴明が声をかけると、衣擦れの音とともに起き上がろうとする気配がした。
「主上、どうかそのまま」
三位中将を振り返ると、濃い眼差しで睨まれた。晴明は主上の様子をつぶさに尋ねなかったことを悔いた。かなり悪いと言わざるを得ない。
「晴明か、たびたびすまない。ここ数日身体が思うように動かず、難儀しているところだ。……あの文を読んだだろうか?」
「かろうじて、判読できるところのみにございます」
「そうか……」
まだうら若き主上は、熱いため息をついた。
「実はあの文以外にも、墨のような模様があるのだ。わたしの身体に」
主上は右の袖を捲り上げると、腕にぽつぽつとできた青黒い痣を見せた。それらは全て、墨汁を紙の上に垂直に垂らしたような波紋を描き、円形であった。
「いつより出ましたか?」
「わからぬ。気づいたのは、五日ほど前だが、気のせいやもしれぬと思い、最初は無理をしていた。しかし、どうにも苦しく、そなたへ使いをやったのだ」
「そうでしたか」
もっと早くくるべきだった、と晴明はほぞを噛んだ。誰も責められない。これは己の失態だった。晴明が言葉を探しているのを察した主上は、静かに起き上がると、尋ねた。
「わたしは死ぬのだろうか? 晴明」
声がかすかに震えていた。あの青黒い痣が増えてゆけば、いずれそうなるかもしれない。それを怖れたからこそ、わざわざ三位中将に桜の枝に結んだ一対の文を持たせたのだろう。
「いいえ。しかし快癒なさるには、この晴明に、すべてをお話しいただくよりほかありません」
「おい、晴明、それはちと酷なのではないか。主上の気持ちもあるだろうに……」
「歯切れの悪いあなたが事情をよく説明しないので、主上にお聞きしているのですよ」
「何だと……」
言い争いになりそうなところを、主上が静かにかすれた声で止めた。
「よいのだ。晴明、三位中将に詳しく話さなかったのはわたしなのだ。そなたがそう申すのなら、そのとおり、すべてを包み隠さず話そう」
主上は床の上で静かに溜め息をついた。
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