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「玉木ちゃん、随分ご機嫌だね」
鼻歌を歌いながらキーボードをたたく彼女に、彼女の同期の九条くんが声を掛けた。
「彼氏でもできた?」
「九条くん。それセクハラ」
「ごめんごめん。で、彼氏できたの?」
二人の会話を僕は斜め前のデスクで、モニタを見つめるふりをして苦々しい思いで聞いている。九条くんは彼女のことを狙っている――以前から僕はそう思っていた。
「いつも言ってるでしょ。彼氏なんてほしくないって」
「じゃ、どうしてそんなにご機嫌なの?」
「うふふ。実は私、推しができたんだ」
その台詞に高速でタイピングする僕の指もつい止まった。
「推し?」
「うん。これ見て」
モニタの隣に飾る写真立てを彼女が持ち上げる。
「猫、だねえ」
「そう。猫だよ。名前はハナちゃん!」
あれから三か月、彼女は週末のたびに僕の家にやってきていた。朝から晩まで居座り続け――彼女のハナちゃんへの熱はさらに高まっていたのである。
「ああ、写真を見ているだけでも癒されちゃう……」
はふう、と頬に手をあてた彼女がため息をもらした。
「この猫、玉木ちゃん家の?」
「ううん。……っと」
斜め向こうに座る僕の視線を感じたようで、彼女がとっさに口元を押さえた。危ない、危ない。その目は確かにそう言っている。
「そういえば何か用?」
「あ、うん。今晩のこと、あらためてよろしくって伝えたくて」
うん?
今晩のことってなんだ?
「じゃ、定時後にまたここに来るから店には一緒に行こうね」
そう言って去っていった九条くんの足取りはとても軽い。よっぽど今夜が楽しみなんだろう。その後ろ姿をさりげなく見送る僕の胸はやけにざわついていた。
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