1『塩田と板井』

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1『塩田と板井』

****side■板井 「どうした? 板井」 「え? いえ」  ぼんやりしていたら課長に声をかけられ、ドキリとした。塩田が変なことを言うからだと心の中で文句を零し、塩田の方に視線を向けると、彼は同僚の電車(でんま)に絡まれていた。    課長、唯野 修二。塩田、電車(でんま)、板井の三人の部下を合わせ、四人だけで編成された苦情係。我が(株)原始人にはカスタマーセンターもあるのだが、中でも悪質なクレーマーの相手をする部署が苦情係であった。電話対応は主に塩田が行う。見目も声も良いが塩田対応で有名。それなのに次から次へと求愛者が絶えない。やたらとモテる名物社員だ。だが、彼を羨ましいと思ったことは一度もない。  塩田に対し好意を抱いても、彼のようになりたいとは思わなかった。 『板井は恋人はいないのか?』  最近、塩田と休憩を共にすることが多くなり、自然とプライベートな話もするようになった。誰に対しても態度の変わらない彼であったが、板井に対しては少し柔らかい感じがする。それは板井の性格のせいもあるだろうが。 『出会いないだろ?』 と返せば、変な顔をされる。  確かにうちは大きな会社だ。苦情係は商品部の奥に設置されているため、商品部の社員とも仲はいい。しかし出会いとなると、四人の部署では難しいのではないだろうか?   それとも合コンに参加しているようにでも見えるのだろうか?  ──あれだけしょっちゅう一緒に呑みに行っているのに?   『どんな人がタイプなんだよ』  恋愛とは無縁そうな彼に好きなタイプを聞かれ、板井は戸惑う。 『急に聞かれても……』  板井はじっと塩田を見つめて。 『塩田』 『は?』 『塩田がタイプって言ったら?』  それは好奇心だった。もし自分がそんなことを言ったら、彼はどんな反応をするのだろうかと。  しつこく求愛する副社長を足蹴にし、誰に対しても交際を断る彼。もしかしたら、自分に合う人を紹介してくれるかも知れない。 ──さすがにそれはないか。  板井がじっと返事を待っていると、 『じゃあ、試しにつきあってみるか?』 と、意外な言葉が返ってくる。  冗談に冗談で返したのかと思ったが、後には引けなかった。こんなチャンス、二度とないだろう。  こうして二人のお付き合いは始まった。    しかし実際のところ、二人の付き合いは友人の延長のようなものだった。 「あ……」  唯野がスマホを見つめ、小さく声を上げたかと思ったら、ため息をつく。 「どうかしたんですか? 充電するなら……」  充電でも切れたのかと思い、板井が気を利かせ自分のデスクの引き出しを開けようとすると、それを制する彼。大丈夫だと言って、苦笑いをしている。 「社長からだよ」  珍しいなと思った。社長ならいつも電話をかけてくるはずなのにと。 「ちょっと行ってくる。あの人のかまってちゃんにも困ったものだよ」 いつもそんな風に冗談めかしていうので、彼が実際どんなことを言われているか板井は知らなかった。 「俺がいなくてもちゃんと休憩取れよ、板井」 「あ、はい」 唯野は再びため息をつくと立ち上がり、苦情係を出て行く。板井は複雑な気持ちでそれを見送った。塩田がこちらを見ていたことにも気づかずに。
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