1『塩田と板井』

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****side■塩田  心配そうに唯野課長を見送っている板井を眺めながら、塩田は先日のことを思い出していた。会社帰りに苦情係のメンツで居酒屋へ行った時のことを。  以前から仕事上がりに夕飯を一緒にすることは多かった。四人だけの部署なこともあり、仲は良いのだ。それでも最近はその回数が明らかに多くなり、塩田は唯野に対し違和感を持った。苦情係のメンツで家庭を持っているのは唯野だけ。そして彼らを誘うのも唯野であった。  頻度が高くなるということは、家に帰るのが遅くなる日が増えるということ。さすがの塩田もそのことを心配に思った。  塩田は会社から徒歩五分の距離に住んでいるが、唯野は電車通勤であり一時間以上かかる。電車(でんま)は一番距離が遠く、吞んだ日は塩田の家に寝泊まりしていた。 『課長。最近家に帰るの遅いけど、平気なのか?』  塩田は上司だろうがタメ口であり、この会社ではそれが許されていた。もっともそんな話し方をするのは塩田くらいのものだが。 『今、一人だから』 と彼。 『嫁さんたち、実家に里帰りでも?』 『いや、別居中』 『は?』  唯野は社内恋愛をし、結婚。もう十数年前の話だ。当時、営業にいた彼はわが社の受付嬢と恋に落ち結ばれたらしい。とても美人な女性らしく、現在高校生の娘は彼女の若いころに似ていると言っていた。  仕事ばかりで子煩悩とは言い難い唯野だったが、家庭内の仲が悪いと聞いたことはない。 『なぜ?』 と問う塩田。それは好奇心というよりは、心配のためだった。 『もう限界らしい』  常に仕事優先の唯野に妻は限界を感じたようだ。愛情はとっくに冷めていたと聞き、意外に思う。しかし考えてみれば、自分たちが入社してまだ数年。その前の唯野を知らない。家庭の話をあまりしない彼。それはすでに愛情が冷め切っていたためかも知れなかった。 『まあ、仕方ないよ』 と彼は苦笑いをする。  彼は現在、一駅向こうにマンションを借りて一人暮らしをしているらしい。周りに別居していることを気づかれないようにするために、わざわざ電車で通うのだ。 『板井には言うなよ』  彼が切なげな表情をして塩田に口止めをする。その言葉を聞き、知られたくない相手は板井なのだと知る。板井に知られたくないから、わざわざ一駅向こうに部屋を借りたのだと。 『心配するからさ、あいつ』  いつだって唯野ことを一番気にかけているのは板井だった。塩田はそこで、先日副社長の皇から聞いた話を思い出す。唯野が営業時代から社長よりパワハラを受けていたことを。何がきっかけだったかはわからない。皇が入社した後のことだから、数年前からということは想像がつく。  その話を聞いた時、板井も一緒にいた。板井は唯野のことを尊敬している。尊敬する上司が社長からパワハラを受けていることを知った時、彼はどんな気持ちだったのだろう?   塩田はそっと、向かい側で電車(でんま)や商品部の部長と冗談を言い合う板井の様子を伺ったのだった。
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