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デート
「箪笥の二段目、右奥だ」
「シャツだ」
静流が洋装をしている。黒いズボンに白いシャツ、茶色のコートに皮の靴。
「おめぇも来るか?」
「え? 仕事に行くんじゃないの?」
「一時間もありゃ終わる。帰りに外で飯を食うか」
「そういうことなら、行く!」
「外に出ても恥ずかしくない格好をしろ」
桃がくるりと回ると、静流の利き手を両手でそっと掴んで、スカートの裾を掴ませる。
「白い襟の紺色のワンピースと、黒い上着だよ。紺色の女物の靴もね」
「上出来だ。行くぞ」
静流は白杖をつきながら歩いていく。桃は斜め後ろに半歩下がり、着いて行く。バスに乗り、都市部へ。会話はない。一つのビルに辿り着き、エレベーターで目的の階へ行く。
「先生! お待ちしておりました」
静流がドアを開けると、明るい女の声が飛んできた。
「あら、お孫さんですか?」
桃はにこりと笑い、僅かに首を傾げる。
「こんにちは。孫の桃です」
「いきなり連れてきて申し訳ない。今日は孫とデートでね。会議中は待たせてやってくれないか?」
「はい! 桃さん、こちらへどうぞ」
桃は案内されたソファーに座る。静流は奥の部屋へ行ってしまった。
「テレビを見ていただいてもいいですよ。こちらに雑誌もありますから」
「ありがとうございます」
静流の家にテレビはない。桃は少しだけテレビに興味が向いたが、マガジンラックに飾るように置かれた『簡単! お手軽! 和食100選』と書かれた雑誌を取り、真剣に読み始めた。
「白和えに、煮付け、雑炊ねえ・・・。あの人、結構肉食だからなあ・・・」
桃の独り言が聞こえたのか、受付の女性がくすりと笑う。主食とおかずのコーナーを読み終え、食後の和菓子を読み始めたところで、静流が奥の部屋から出てきた。
「先生、お疲れ様です」
「ああ、いつもありがとう」
桃は『あの口の悪い爺が好々爺ぶってやがる』と笑いをこらえるのに必死だった。
「桃」
「はい」
「帰るぞ」
桃は、静流の利き腕に思いっきり腕を絡めてやった。普段なら『べたべたするな』と叱られるが、今の静流は怒らない。後でしこたま怒られるのは覚悟の上だ。
「さよなら、おねえさん」
「桃さん、また来てくださいね」
部屋を出て、エレベーターに乗る。
「おい、離せ。引っ叩くぞ」
「酷いなあ、『おじいさん』。それが『孫』に対する態度かい」
そう言いながらも、桃は静流の腕を離した。
「振り払わないだけ優しいと思え」
「そんなことされたら深く傷ついて、二度と立ち直れなくなるよ」
「・・・振り払うべきだったな」
「あー、やけくそになって人間を喰っちまうかもしれないねえ」
「馬鹿がよぉ」
ぽん、と機械音が鳴り、エレベーターのドアが開く。
「それで? おじいさん。夕飯はどこにするの?」
「馴染みの喫茶店に連れて行ってやる。大人しくしてろよ、孫よ」
にっこりと静流が作り笑いを浮かべたので、桃は鳥肌が立った。
「あんた、そういう顔、似合わないよ」
「お前の猫撫で声も耳障りだ」
「口の減らない爺だな」
「生意気なガキめ」
二人は笑いながら、夜の帳が下りた町を歩いて行った。
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